自由貿易体制における経済安全保障

提言・論考

鈴木一人

自民党が提唱する経済安全保障とは

岸田政権が進めようとしている経済安全保障の考え方は、2020年12月と2021年5月に公表された自民党の提言に基づいているものだと考えられる。その提言では経済安全保障を「経済的手段による国益の確保」と定義している。他国による輸出の停止やサプライチェーンの混乱があっても重要な産業を守る「戦略的自律性」と、グローバルなサプライチェーンの中で日本が不可欠な存在となることによって、容易に通商を断絶できないようにする「戦略的不可欠性」を高めることを目指すとしているが、やや抽象的である。

「戦略的自律性」のためにどれだけのコストをかけ、自由貿易原則とどの程度折り合いをつけるか。最近ではトランプ政権で鉄鋼アルミへの追加関税がかけられるなど、安全保障を隠れ蓑に自由貿易原則をないがしろにする行為が行われている。同様のことはバイデン政権でも見られるが、それを日本が倣ってもよいのか。

「戦略的不可欠性」については、たとえ世界で唯一無二の産業となっても、政治的思惑で民間企業が振り回されないかという懸念がある。実際に2019年には韓国に対して行った半導体に欠かせない3製品（フッ化水素、フッ化ポリミド、フォトレジスト）の輸出規制を行ったが、その原因となった徴用工問題の解決にはつながらず韓国を怒らせるだけという結果となった。政府の思惑で企業活動に介入することと、倫理面での妥当性という問題があり、また半導体を作っていない国には効果がないなど、グローバルな力になりえるのか疑問がある。

また、自民党の提言は、原則として「守り」の姿勢が中心であり、「攻め」の姿勢が見られない。サプライチェーンの強靭化や基幹インフラの強化などは、外国によって経済的な圧力がかけられることを避け、国民生活や国家経済を守るだけでなく、他国からの経済的圧力によって支配的な影響を受けることを避け、国家としての政治的独立を維持することを目的としている。確かに、そうした側面は重要な意味を持つが、それだけでは経済的な「専守防衛」となってしまい、日本の経済力をパワーとして活かすという戦略につながらない。

また、現在準備が進んでいる経済安全保障推進法案でも、こうした「守り」の姿勢は強く出ているが、「守り」の姿勢がもたらすもう一つの問題がある。それは、技術の流出や法令に違反することによる罰則で企業活動を規律する傾向が強まってしまうことである。経済安全保障とは政府が権力によって市場における自由な企業活動に介入することであり、そのための手段として罰則が設定されることになるが、企業はそうした罰則に対して敏感であり、経済安保推進法の遵守のためのコンプライアンスコストが高まり、企業活動に制約がかけられることを嫌気するという問題も生じる。

経済安全保障の3つの意味

経済安全保障には３つの意味があるが、多くの人はそれらを混同し、整理しないまま経済安全保障を語るため、概念の混乱が起きている。経済安全保障の意味の１つが「供給の安全保障」、つまりサプライチェーンの安全保障である。特定の製品が特定の国家（とりわけ中国）に依存しているような状況においては、他国がその経済的依存をテコに圧力をかけてくる可能性がある。そうした状況に対処するためには、平時からサプライチェーンを点検し、他国に対してどの程度依存しているかを認識する必要がある。バイデン政権が就任直後から大統領令14017でサプライチェーンの見直しを命じ、6月には半導体、医薬品、蓄電池、レアアース・ミネラルに関する報告書が出てきたのはまさに自国への供給を他国に握られている状況がリスクになっているとの認識があったからである。

２つ目が「技術の不拡散の安全保障」である。これは貿易などを通じて技術が拡散し相手の軍事能力が強化されることによって、国民の生命と財産が脅かされるような状態になるのを避ける、伝統的な「安全保障貿易管理」の範疇に入る。現在、G20諸国の中で特許の非公開制度がない国は日本とメキシコだけであり、技術の流出に関しての意識は低かった。日本では学術研究は自由であるべきという前提のもとで、研究開発は公開する原則になっている。2017年にこの空気感に変化があり、プラズマを利用する電磁的ウラン濃縮に関する日本の特許が公開されていることが問題視された。

また、技術の流出が日本の国際競争力を低下させているということも懸念されている。米中対立の一つの側面は新興技術をめぐる「技術覇権」競争であり、日本も新興技術においては一定の技術力や研究開発能力を持ち合わせている。そうした中で、中国はサイバー攻撃を通じた先端技術の窃取や産業スパイのような活動を通じて、日本が持つ機微な技術を取得することは、中国の「軍民融合」を通じて軍事力強化に貢献するだけでなく、日本から窃取した技術が中国産業の競争力強化につながり、結果的に日本の産業が国際競争に負けていく可能性を含んでいる。そうしたことを避けるためにも、技術流出を防ぎ、「技術覇権」競争の中で生き残ることを考えなければならない。

３つ目が「他国の規制からの安全保障」である。アメリカでは「グローバル・マグニツキー法」に基づき、人権をてこに中国に対し攻撃的な貿易管理を仕掛けているが、こうした米国の規制は日本企業にも影響している。中国はそれに対抗する形で「反外国制裁法」といった対抗措置を取り、アメリカの制裁に従っている日本企業は中国でのビジネスが出来なくなると言った状況に置かれている。アメリカも中国も独自の国内立法を通じて規制を強化しているが、それらの規制は日本からコントロールすることはできず、他国の規制の変更に対応するためにコスト増が強いられるといった状況にもなっている。こうした中で自国企業の活動を保護し、日本の産業を維持するためにはどこにリスクがあるのかを分析できる経済インテリジェンスを高め、人権問題などに引っかからないようにサプライチェーンの見直しを進めることが必要となる。こうした経済インテリジェンスの強化も経済安全保障の一環と見るべきであろう。

エコノミック・ステイトクラフトとの区別

経済安全保障には上述した三つの意味があるが、それとは別に「エコノミック・ステイトクラフト（以下ES）」というコンセプトがある。しばしば経済安全保障とESは混同されがちだが、これもきちんと区別しておく必要があるだろう。

ESとは「経済的手段を用いて政治的意思や価値を他国に受け入れさせること」であり、「経済的強制（Economic coercion）」と重なるところも多く、大きな違いはないと言える。ESを実施する条件として、ある国家が「戦略的不可欠性」を持つことで、他国に対して優位な立場にあり、その優位性をテコに政治的意思や価値を強制することである。たとえば、上述した「グローバル・マグニツキー法」やイランや北朝鮮の核開発に対する経済制裁はESの一つの形態と言える。

このESは「攻め」の経済安全保障の中に含まれる場合もあるが、基本的には異なるものとして考えられるべきであろう。「攻め」の経済安全保障とは、国際競争力を強化し、経済的な優位性を獲得することである。そのためには「不可欠性」のある技術を開発するだけでなく、その技術を社会実装し、グローバル市場で競争できる製品やサービスに仕立て上げ、その「不可欠性」のある技術を他国が使うことで、自国に対する依存度を高めることを目指すことが不可欠である。「攻め」の経済安全保障は、そうした社会実装化された技術を「不可欠」なものにするために、国際的なルールを定め、グローバルな標準を取りに行くことが求められる。

逆にESは自国の経済的な優位性をテコにして政治的な意思や価値を強制するものである。その目的には「他国の人権状況を改善する」といった政治的な目的が設定されるが、そのための手段として自国の競争力のある産業や製品が使われることになる。ESが発動されれば、対象国との取引はなくなり、経済的損失が生まれるだけでなく、将来的なESの可能性を恐れて他国が自律性を高め、経済的な依存、すなわち市場の開放度を下げる可能性がある。それは結果として自国の国際競争力を毀損し、ビジネスチャンスを失わせる結果となる。

例えば、アメリカが中国に対する半導体の取引を制限し、同盟国にも対中半導体制裁の協力を求めているが、これはアメリカや西側諸国が優位性を持っている技術を維持しつつ、中国が高度な微細加工技術による半導体を手にすることが出来なくなることで、中国の軍事力、経済力の台頭を遅らせるということが目的となっている。しかし、その結果、半導体の需要が旺盛な中国市場に最先端の半導体を売ることが出来ない、ということが起こる。ただし、こうした経済界への配慮から、半導体の中でも最先端ではない、線幅が20ナノ以上の数世代前の半導体は汎用品として取引することが出来るようになっている。

また、ESはしばしば「相互依存の武器化」「貿易の武器化」「武器を使わない戦争」と表現されるが、その効果は軍事的なステイトクラフトとは異なるものであることを認識しておく必要があるだろう。北朝鮮の核・ミサイル開発に対する制裁にみられるように、制裁を受けても核開発を続けるという意思があれば、対象国はその行動を変容させることはなく、ESを仕掛けることで失うものも多い。他国が自国に対してESを仕掛けてくる場合も、それに対してどの程度までのリスクや損害を許容するのか、そのための政治的な覚悟が試される。

自由貿易体制における経済安全保障

経済安全保障は「守り」の性格が強く、しばしば保護主義的な手段ととられることもある。とりわけ、基幹インフラの保護を目的として、特定の国家で生産された製品を排除することは、自由貿易における「無差別原則」に抵触する可能性がある。また、サプライチェーンの強靭化は、競争力の弱い自国産業を強化するために国家が補助金を出して支援するという国家補助の規定に抵触する可能性がある。サプライチェーンが脆弱であるのは、自国で生産するよりも他国で生産する方がより効率的であり、他国で製造された製品を調達する方が自国製品を調達するよりも経済合理性があるからである。国家補助が認められるのは、いわゆる「正の外部性」、すなわち新規技術の研究開発や環境保全といった市場に任せておいては実現しない社会的価値を実現する場合であるが、安全保障も「正の外部性」として認められることもある。これは「安全保障例外」と呼ばれ、WTO体制の下ではGATT21条に示されているが、この条文を読む限り、例外が適用されるのは極めて限定的な場合に限られる。

確かにRCEPやCPTPPで設定されている「安全保障例外」はかなり解釈の幅が広く、国家が任意で、何が安全保障に該当するかを決定する余地があるが、WTOのルールは極めて限定的で、この規定に違反した場合、WTOの紛争解決メカニズムを通じて、ルールに合致しないと認定される可能性が高い、ということが言える。

GATT第二十一条安全保障のための例外
この協定のいかなる規定も、次のいずれかのことを定めるものと解してはならない。
(a)締約国に対し、発表すれば自国の安全保障上の重大な利益に反するとその締約国が認める情報の提供を要求すること
(b)締約国が自国の安全保障上の重大な利益の保護のために必要であると認める次のいずれかの措置を執ることを妨げること。
(i)核分裂性物質又はその生産原料である物質に関する措置
(ii)武器、弾薬及び軍需品の取引並びに軍事施設に供給するため直接又は間接に行なわれるその他の貨物及び原料の取引に関する措置
(iii)戦時その他の国際関係の緊急時に執る措置
(c)締約国が国際の平和及び安全の維持のため国際連合憲章に基く義務に従う措置を執ることを妨げること。

とはいえ、WTOの機能はアメリカの反対によって上級委員が任命されないなど、十分に機能が果たされている状況にはなく、仮に経済安全保障上の措置がWTOのルール違反であるとしても、それを認定するメカニズムが機能していないという状況にある。そのため、アメリカをはじめとして、国際社会において、自由貿易体制を尊重し、そのルールに従って行動するよりも、自国の経済安全保障を強化し、自国の産業を保護する形で産業政策を展開することの方が正統性があるといった認識も散見されるようになっている。同様に、自国の基幹インフラに関しては、国家の経済社会的安定を優先するため、WTOの無差別原則を重視するよりも、差別的な措置ではあっても、特定の国家で製造されたものを排除することに合理性があると考えられるようになっている。

実際、GATT21条は第二次大戦後間もない時期に書かれたものであり、これまで戦後秩序の中で問題視されることがほとんどなかった。冷戦期においては、東西両陣営の間に経済的なやり取りはほとんど存在せず、自由貿易体制は西側諸国を中心に発達した。冷戦が終わり、中国が改革開放を進めることで、国際経済の中に統合され、2001年にWTOに加盟することで状況は大きく変わった。第二次大戦後から冷戦期には、安全保障上の利益と価値を共有する西側諸国が中心となって自由貿易を展開したため、安全保障の問題と自由貿易の問題が衝突することがなかったのである。中国がWTOに加盟した当初は中国が西側諸国と同様の利益と価値を持つようになり、自由主義体制の持つ利益と価値を共有することが期待された。しかし、現実には中国は自由貿易体制から経済的利益を享受しつつも、その価値を受容することはなく、異なる価値やイデオロギーを維持したまま、自由貿易体制の中に留まることとなった。さらに、中国の経済的成長が、その軍事力の台頭を支えることとなり、安全保障上の懸念となることで、初めて自由貿易体制の中で安全保障の問題が重視されるようになったのである（過去にロシアとウクライナ、サウジアラビアとカタールが安全保障例外の適用をめぐってWTOに提訴するといった問題はあったが、いずれも決定的な判決は出ていない）。

米国における経済安保

経済安全保障（Economic Security）という言葉はアメリカではポピュラーではないが、それに準ずる政策を展開するようになっている。アメリカでキーワードになっているのは、Put China Down, Speed us upである。注意が必要なのは、中国に対する意識は強くありつつも、中国の「行為」ではなく中国が持つ「能力」に注目しているという点である。ファーウェイが何をするかではなく、ファーウェイが今後能力を持たないようにするためには、どういう仕掛けをするかが経済安全保障政策で語られる。つまり中国そのものの能力が高まって、アメリカに挑戦してくることに対する脅威があるということなのだと思われる。

また、アメリカの経済安全保障を考えるうえで、四つのコンセプトが掲げられる。それらはレジリエンス、イノベーション、投資の引上げ（divestment）とデカプリングである。

まず、レジリエンスに関してだが、日本との比較で重要なのは、アメリカではサプライチェーンの混乱が意図的か、非意図的かが問題とされることは少なく、自然災害や需給のバランスの変化などによるサプライチェーンの混乱であっても、対処しなければならない、という意識が強い点である。日本は2010年にレアアースの輸出を止められたトラウマがあるが、アメリカにはそういった経験がない。人手不足などによっておこるサプライチェーンの混乱そのものが問題であるため、それに対するレジリエンスを高めていくべきだというのが議論の中心になっている。

2つ目のイノベーションでは、アメリカは国家が主導して産業振興した経験があまりなく、この自分たちに欠けている能力に対する意識が高まってきている。自由貿易を進めたことによって、失った産業競争力を回復しなければならないと考え、新たな産業政策が課題とされている。伝統的にアメリカの産業政策はDARPAを通じた研究開発や、防衛調達を通じた産業育成などは存在したが、現代においては、技術や製品の軍民の区別がつかなくなり、半導体のように、軍民両用の技術が安全保障上、重要な産業として位置づけられるようになったため、経済と安全保障を一体のものとして考えるようになり、そのためには産業政策を構築しなければならないとの意識が生まれている。しかし、アメリカの開放的な経済において、企業の国籍は重視されているとはいえず、外国企業であっても、国内での生産を強化することが重視されており、その結果として台湾のTSMCや韓国のサムスンの工場を誘致することが優先され、国内の半導体産業から不満も出ている。

3つ目のダイベストメントは興味深い事例である。アメリカ政府のメッセージとしては、とにかく中国から撤退すべきというものだが、テスラやＪＰモルガンといった企業は今や中国市場を無視してビジネスをすることはできず、政府の行動と企業の行動が一致していない。アメリカ政府もこうした中国におけるビジネスを全て管理するつもりはなく、安全保障上、機微な技術の移転やアメリカの優位性を損なうような技術や製品については管理の対象となるが、それ以外の汎用品は原則自由な企業活動を容認するという姿勢を取っている。

４つ目のデカプリングについては、トランプ政権時代に想定されていた、中国への経済的依存を全面的に排除し、対中貿易赤字を解消するといった全面的デカプリングは事実上無理である、という認識が高まっている。しかし、議会においては中国に対する厳しい対処を求める傾向が強く、産業界の意向よりもイデオロギー的な対立が優勢となっている状況である。他方、行政府は企業の活動を制限することには限界があり、非現実的なデカプリングはアメリカ経済に大きな損害をもたらすとみている。産業界は中国とのビジネスには大きな可能性を見ており、その点で議会、行政府、産業界の足並みが揃っていない。

アメリカにおける経済安全保障問題の一つに保護主義化への懸念がある。経済安全保障は必要だが保護主義に陥ってはならないという観点から、経済安全保障の問題を同盟国や同志国との連携で実現するという意識が強く表れている。昨年末にキャサリン・タイUSTR代表、レモンド商務長官が来日し「インド太平洋経済枠組み」が提唱されたが、こうした枠組みを活用することで、アメリカが一方的に自由貿易に背を向け、保護主義に走るのではなく、いわゆるミニラテラルやプルリラテラルと言われる、小さな枠組みを通じて自由貿易の枠組みを維持することを目指している。

果たしてこの枠組みが自由貿易体制に代わりうるものなのかどうかは定かではなく、中国を排除するという姿勢はリベラルな国際秩序を維持するという観点から見ても、必ずしも適切なものとは言えない。しかし、第二次大戦後、自由貿易体制が西側諸国の枠組みの中で構築されていったことを考えると、こうしたミニラテラル、プルリラテラルなアプローチは、冷戦期の始まりに戻っただけ、ということも出来るかもしれない。

おわりに

経済安全保障は、日本国内でも様々な意味で使われ、日米の間でも考え方が異なっている。論者によって異なる意味を付されることによって、概念が混乱し、何を目的とした政策なのかを見失うこともありうる。そうした概念の混乱をきちんと整理し、有益な議論を進めていくためにも、経済安全保障を論じる際には、自らの意味するところを正確に示しながら論じることが重要となる。

様々な意味を持ちうる経済安全保障だが、どのような使い方をするにしても、自由貿易体制との矛盾を隠すことはできない。アメリカが離脱した後のTPPを立て直し、中国、韓国を含めたRCEPを成立させた日本は、今や自由貿易体制のリーダーであり、「ルールに基づく国際秩序」を引っ張っていく立場である。それだけに、日本の経済社会の秩序を維持する経済安全保障を推進しつつ、ルールに基づく国際秩序を崩壊させないようにする、バランスの取れた戦略が求められる。

（東京大学教授）

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