提言・論考
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第２２代国会議員選挙と韓国政治
―政権審判と日韓関係の展望―

奥薗秀樹

韓国では、大統領の任期は５年で重任が禁じられているのに対して、国会議員は任期４年で、国会の解散規定はない。両者の任期の差によって生じる大統領選挙と国会議員選挙の実施時期のズレは、これまでにも、時の政府の政権運営に少なからぬ影響を及ぼしてきた。

尹錫悦政権が発足してほぼ２年となる４月１０日に実施された今回の総選挙は、政権の中間評価の意味合いを帯びるものになった。尹大統領としては、野党が圧倒的多数を占める国会への対応に苦しめられてきただけに、国民の支持によって政策実現のために必要な議席を得て、残り３年の任期で、安定した国政運営を図りたいところであった。

保守系の与党「国民の力」は、係争中の司法案件を抱える野党代表の二人を審判し、犯罪者による政治を許してはならないと訴えたのに対して、進歩系の最大野党「共に民主党」と文在寅前大統領の腹心曺国氏が新たに結成した「祖国革新党」は、尹政権そのものの審判を掲げて選挙戦に挑んだ。

結果は、３００議席中、野党が１９２議席と地滑り的勝利を収め、与党は改選前よりさらに議席数を減らして１０８議席にとどまった。８議席を切り崩せば、大統領の弾劾訴追や憲法改正の議決も可能となる、尹政権にとって予想以上に厳しいものとなった。

第２２代国会議員選挙をどう見るか

韓国の政治と社会は、保守の象徴ともいうべき朴正煕元大統領の娘である朴槿恵大統領の弾劾罷免と、進歩の価値を体現する存在ともいえる盧武鉉元大統領の右腕であった文在寅前大統領が積弊清算の名の下で推し進めた国の軌道修正の試みの中で、保守と進歩の二つの陣営が分裂と対立を極めるようになっていった。両者の対立は、理念や政策の相違によるものから、お互いが相手の主張に耳を傾けることなく全否定する、敵か味方かの陣営論理が支配する対決構図へと先鋭化し、韓国社会の分裂状況は深刻度を増していったのである。

権力の座を争ってきた、保守、進歩の二大政党が復讐の連鎖と報復の応酬に明け暮れる一方で、改善の気配が一向に感じられない生活経済の実態は、機能不全に陥った旧態依然とした政治に対する国民の不満と不信を募らせた。韓国社会にそうした閉塞感が漂う中で実施された今回の総選挙では、当初、二大政党による不毛な対決構図が支配する既存政治の枠組を打ち破る第三勢力がどれだけ支持を集め、韓国政治に新たなステージの可能性が開かれるのかが注目を集めた。しかし、二大政党を飛び出す形で期待された第三勢力の結集は早々に霧散し、二大政党による政治支配を打破する試みは失敗に終わった。今回の選挙も、保守と進歩が激突する構図となったのである。

（１）理念と世代で見る選挙構図

韓国の有権者の政治志向性は、保守層と進歩層が伯仲しているが、流動性のある無党派浮動層が半数近くと最も多くを占めており、それが世代ごとに明確な傾向を帯びているのが特徴的である1。

韓国が貧困から脱し、豊かさを実現する時代を生き抜いてきたことを自負する６０代以上の世代は、圧倒的に保守色が強く、与党国民の力の支持率が高いのに対し、民主化を経て権威主義を否定し、韓国社会に民主主義を定着させていく役割を果たしてきたことを自任する４０代は、進歩傾向が明瞭で、野党共に民主党の支持率が高い。また、経済成長も民主化も実現し、ＩＴ大国となった韓国の情報化社会で生まれ育ったデジタルネイティブの世代で、ＩＭＦ経済危機やリーマンショックを経た低成長の超競争社会を生きてきた２０代以下は、脱理念、脱地域で生活重視、公正さに敏感な無党派浮動層が多くを占め、その比率が二大政党への支持を上回って最も高いのが目を引く。３０代は、国民の力、共に民主党への支持と無党派の割合が拮抗しているが、５０代は、二大政党への支持が互角な一方、無党派の割合は低いのが特徴である。４０代、５０代、６０代以上で二大政党の支持傾向がほぼ固定化しているのに対して、無党派の比率が高い２０代、３０代が選挙戦における攻略対象となる所以である。

また、少子高齢化が急速に進む韓国社会では、有権者の年齢ピラミッドに大きな変化がみられることも、政治的に影響を与え得る要素として指摘しておかなければならない2。２０代と３０代の割合は、２００４年の４７％から２８．６％へと、この２０年で大きく減少しているが、６０代以上は、逆に１６．９％から３１．９％へと急激に増加している。

１８歳、１９歳を加えた３０代以下の有権者の比率は３０．７％と、依然３割以上を占めており、無党派浮動層が多くを占める同世代が、選挙結果を左右する鍵を握っているのは確かである。ただ一方で、今回の選挙が、一部で「グレー総選挙」と称されたように、６０代以上の割合が３０代以下を初めて上回り、この傾向が今後も続くことには注目しておく必要があろう。中高年層が、選挙情勢に左右されることなく、常に７０％代から８０％代の高い投票率を示してきたのに対し、２０代３０代は４０％台から７０％台と、選挙情勢や関心の度合いによって、投票率に少なからぬ波があることを考えると、それは無視できない変化であるといえよう3。

こうした世代ごとの傾向や年齢構成の変化は、有権者に占める比率が上昇して存在感を増し、高い投票率で一貫している６０代以上の世代を揺るがぬ支持層として抱える保守与党国民の力にとって、追い風となるものであるといえよう。しかし一方で、実利優先で、投票行動が流動的な無党派浮動層を多く抱える２０代３０代が、スイングボーターとして選挙結果を少なからず左右し得る存在であることは確かであり、その支持を失えば、選挙戦略上極めて大きな損失となることもまた明白であった。

（２）「国民の力」の選挙戦略とその限界

選挙前の世論調査において、二大政党の支持率が拮抗していることから、互角の戦いを予想する声も聞かれたが、両党の支持率は合計しても７割に満たず、与野党双方に問われるのは、残りの３割を超える無党派浮動層を如何にして取り込むかであった。そうした視点から見ると、同時に、尹錫悦大統領に対する否定評価が肯定評価を２０％以上、また「政府牽制のため野党に投票」が「政府支援のため与党に投票」を１０％以上、それぞれ一貫して上回っていたことは、今回の選挙が政権与党にとって過酷な戦いとなることを示唆しており、反対に野党にとっては、支持の拡大が期待される状況であったといえよう4。

与党「国民の力」は、昨年１０月の補欠選挙惨敗を受けて、非常対策委員長に就任した韓東勲氏が総括選対委員長を務める１トップ体制で選挙に臨むこととなった。韓東勲氏は尹大統領と同じ検察の出身で、政治経験はないものの、当時から尹錫悦氏の側近として辣腕を振るってきた人物である。

国民の力にとって最大の弱点は、ほかでもない尹錫悦大統領であった。しかも「政権審判」を掲げた野党の攻撃対象は尹政権の政策ではなく、尹大統領の統治手法であった。世論の動向に気を配ることなく、反対意見や周囲の忠告にも耳を貸そうとしない、自ら必要だと判断すれば、反発をもろともせずに推し通す、独断専行の硬直した政権運営は、検察総長から政界入りした大統領の経歴とも相まって、傲慢で一方的であるとして、批判の標的となった。とりわけ民主化時代の扉を開き、韓国社会に民主主義を定着させる役割を果たしてきたと自負する４０代５０代にとって、尹大統領の統治手法は権威主義的で、かつての独裁政権を想起させ、強い拒否感を覚えるものであった。

また、検察官時代から、自分は人に忠誠を尽くさないとし、権力が絡む事件であっても、法と原則に忠実な姿勢で厳正に対処するとして、信念を貫く姿勢を堅持してきたにもかかわらず、自身が大統領になって権力を手にすると、夫人の金建希女史をはじめ、李鐘燮国防長官など、身内や側近が絡む疑惑に対しては相次いで拒否権を行使するなど、甘い対応に終始する姿は、先の大統領選において、文在寅前政権のダブルスタンダードを厳しく批判した尹大統領の「公正さ」を大いに傷つけることとなった。とりわけそれは、権力を笠に着た横暴や不正義に敏感な２０代３０代にとって許し難いものであり、怒りと反感を買うことは避けられなかった。

韓東勲総括選対本部長にとって何よりも求められたのは、進む物価高に不動産価格の高止まりなど庶民生活が逼迫する中、そうした尹錫悦大統領の、過程を無視して目的だけを力ずくで実現しようとする独善的な政権運営と、それに追随するだけの与党の基調を変え、局面転換を図る姿勢を国民に示すことであった。そのためには、必要ならば、与党として尹政権の姿勢に異を唱えることも厭わず、大統領との距離感をうまく制御しながら差別化を図り、自らが尹大統領の言いなりではない姿を見せることが必要であった。そういった姿勢を見せることなく、係争中の司法案件を複数抱えた二人の野党指導者を貶めるネガティブ攻撃に終始するだけでは、中間層を取り込み、支持を拡大させるだけの説得力を発揮することは困難であった。

しかるに、国民の力は、韓東勲選対委員長の下で、「勝てる候補」を掲げて党公認候補の選定にあたったものの、蓋を開けてみると大統領に近い候補ばかりが並ぶ結果となり、選対委員長は大統領に忖度して親尹系を優遇したとの批判を浴びることとなった。また、金建希女史をめぐる各種疑惑について、国民の不信を解消する説明の必要性に言及した韓東勲委員長に対し、大統領の怒りを察した秘書室が解任を示唆して抑え込みを図ると、一転して沈黙を余儀なくされたほか、李鐘燮前国防長官の駐豪大使任命強行によって、海兵隊上等兵死亡事故の捜査もみ消しを図ったのではないかとの疑惑についても、その見解を問われた韓東勲委員長は、言及を回避するなど、大統領の意向に沿わない言動は封殺される実態が露わになる結果を招いた。

さらには、医師不足解消のために政府が打ち出した医学部定員増加方針を巡っても、選挙戦の真最中に、反発を強める医師らが集団辞職して職場を離脱するなど、医療現場の混乱が拡大し、国民の生命と健康が脅かされる事態を招いた。国民世論は政府方針に理解を示しつつも、譲歩する気配を見せない大統領の頑なな対応が事態を長期化させ、国民生活を不安に陥れていると、批判の矛先が次第に、尹大統領の硬直した姿勢と、そんな大統領を誰も説得できない政権与党の体質へと向かうようになっていった。

尹大統領が掌握する与党の実態と、大統領に苦言を呈してでも距離をとり、差別化を図ることができない韓東勲委員長の力の限界を露呈する形となってしまったのである。

結局、韓東勲委員長による与党の選挙戦略は、野党指導者に対するネガティブキャンペーンに終始し、大統領の政権運営の局面転換への期待には応えることができずに終わってしまった。今回の総選挙を尹錫悦政権に対する「政権審判」と位置付けた野党の戦略を抑え込むことに失敗したのである。

（３）「共に民主党」と祖国革新党の政権審判戦略

一方、最大野党「共に民主党」にとって最大の懸念は党の内紛と分裂であった。とりわけ、公認候補を選定していく過程で、李在明代表に近い人物をあの手この手で優遇することにより、党を「李在明の民主党」へと作りかえていこうとする露骨な取り組み工作は、「公認虐殺」とまで称されるなど、李在明代表と距離を置く非李在明系の文在寅系、盧武鉉系勢力との軋轢を深刻なものにした。

２０２７年の次期大統領選で政権交代を実現させ、進歩政権を復活させる為には、総選挙に勝利することで、尹政権に審判を下さなければならない。しかし、数々の司法リスクを抱えながら、独善的ともいえる強引な党運営を続ける李在明代表が支配する民主党にはどうしても抵抗感が拭えず、票を投じることに躊躇せざるを得ない。党の内紛によって、そうした支持層が離反し、進歩勢力が分裂することになれば、尹政権と国民の力が漁夫の利を手にすることになりかねない。また、党内の不協和音が大きくなればなるほど、態度を決めかねている無党派浮動層を失望させ、遠ざけることにもなってしまう。それが投票率の低下を招くことになれば、高齢層の支持が固い国民の力にとって有利な展開となる。非李在明系が李在明代表に反旗を翻し、党を割って出ることで、結果として与党に勝利がもたらされるようなことになれば、敗北の責任を問われるのは避けられないであろう。

非李在明系の有力者のうち、盧武鉉政権と文在寅政権でそれぞれ国務総理を務めた李海瓚、金富謙の両氏は党の共同常任選対委員長を受諾し、文在寅大統領の秘書室長を務めた任鍾晳氏も、公認脱落の後に党残留を決めるなど、離党して、新党「新しい未来」を結成した李洛淵元総理とは一線を画す決断をした。尹錫悦政権を審判するために、公認過程で生じた内紛の火種をひとまず抑え込む形がとられたのである。

そして、文在寅前大統領の腹心であった曺国元法務部長官は、反尹錫悦の旗幟を鮮明にし、検察独裁早期終息を掲げて「祖国革新党」を結成し、政権審判の先頭に立つことを宣言した。曺国氏は、文在寅大統領の民情首席秘書官を務めた後、法務部長官として政権の看板政策ともいえる検察改革を主導する役割を担ったが、当時の尹錫悦検察総長と激しく対立して、自身や自身の家族が絡む複数の疑惑を抱えて辞任に追い込まれるなど、尹錫悦大統領とは浅からぬ因縁がある。娘の不正入学などに絡んで有罪となった夫人が服役中のうえ、自らも実刑判決を受けて上告中である。公私ともに、まさに反尹錫悦の象徴ともいうべき人物であるといえよう。

選挙戦に臨むにあたって曺国代表が打ち出したのは、祖国革新党は比例代表に専念して地域区には候補を立てず、共に民主党の敵にはならないとする「地民比祖」戦略であった。それは、反尹錫悦でありながら、李在明に抵抗感を禁じ得ない反李在明の進歩票と、尹錫悦に疑問を感じる無党派浮動層の受け皿として機能しただけでなく、共に民主党の地域区での戦いにおいても追い風となり、勝利に貢献する効果をもたらしたとの分析もなされている。

（４）総選挙の結果とその含意

任期の折り返し点を迎える前に、尹錫悦大統領の求心力の低下は避けられなくなった。尹錫悦大統領の統治スタイルを標的とした政権審判の選挙で惨敗した以上、任期を３年残した大統領がどこまでその政治手法を改めるのかが注目されることになるが、もはや、脱尹錫悦の流れを止めるのは困難である。解党的出直しに臨むにあたって、議論が避けられない尹大統領の離党をめぐり、親尹勢力と非尹勢力の葛藤が激化するのは必至で、次期大統領選の有力候補らの思惑も絡みながら、脱尹錫悦をめぐる混乱は激しさを増すことになるであろう。

党勢回復の鍵を握るポイントの一つは、離反してしまった若年男性層の支持を如何にして取り戻すのかである5。先の大統領選と統一地方選で、公正の観点からジェンダー支援政策への反発と被害者意識を持つ２０代３０代男性の支持を幅広く集め、嶺南地域中心の古臭い高齢者政党のイメージを払拭して党を勝利に導くうえで大きな役割を果たしたのが国会議員未経験の３０代、李俊錫元代表であったことは否定できないであろう。李俊錫体制の下で総選挙に臨むことになれば、避けられないのが公認候補の選定を通して進む党の世代交代であった。親尹錫悦の党内主流派が、先手を打つ形で李俊錫氏を事実上党から追い出したことで、若年男性層の支持が一気に失われることになったのは必然であった。

但し同時に、李俊錫氏が展開したこれまでの反フェミニズムのジェンダー分断戦略によって、若年層から５０代に至るまでの女性に背を向けられてしまった党の現状をどう克服し、女性の支持を取り付ける体制を構築するかという課題に取り組むことなしに、党勢の拡大が見込めないのは明らかである6。ジェンダー葛藤を抱える若年層の支持を如何にして獲得していくかは、諸刃の剣であり、綿密な戦略に基づく慎重なアプローチが求められるであろう。

いずれにしても、次期大統領選に向けて、保守政権再創出のための戦略の抜本的見直しを迫られることになったのは確かである。そうである以上、反共や理念対立を前面に押し立てた、懐古主義的で権威主義的なオールド保守から、反既得権の若年層を取り込む力を持つ、韓国の実態に即した新たな合理的保守の姿を見せることができない限り、政党としての国民の力は徐々にその拡張性を失っていき、政権担当能力をもった中心政党から、特定の保守勢力を代弁する周辺政党へと衰退していく恐れがあるという危機意識を持って出直す覚悟が求められよう。

他方、総選挙において、共に民主党を圧勝に導いた李在明代表はその指導力を証明したほか、多数の李在明系議員の当選によって党内主流派を形成することに成功し、権力基盤は確実に強化された。次期大統領選へ向けたハードルを一つクリアしたといえよう。ただ一方で、李在明代表自身がいくつもの司法リスクを抱えたままであることに何ら変わりはないほか、今回の勝利が、第一義的には、尹錫悦大統領と政権与党の敵失によってもたらされたものであり、李在明代表と共に民主党に対する積極的支持によるものではないことは、総選挙後も党支持率の横ばいが続くことからも明らかであろう。共に民主党の勝利は、党内非李在明勢力と祖国革新党との協力による政権審判の選挙戦略がもたらしたものだったのである。

公認候補の選定を通した李在明代表による党掌握のための露骨な多数派工作は党内に深刻な軋轢を生んだが、周辺に追いやられた文在寅系を中心とする非李在明勢力は、党に残留して勝利に貢献したことで、非主流派として党内における一定の立地と発言権を確保したといえよう。また、旋風を巻き起こして１２議席を獲得し、野党第二党となった曺国代表の祖国革新党が、比例得票で共に民主党に僅差で迫り、出身地の釜山市と行政都市である世宗市では共に民主党を上回ったほか、進歩勢力の絶対的な牙城である光州広域市・全羅北道・全羅南道において、共に民主党を上回る比例得票一位を記録したことは刮目すべき結果であるといえよう7。

李在明の民主党に抵抗を感じる進歩層の支持を広く集める存在たり得ることを証明した祖国革新党は、党内にも非李在明系の非主流派を抱える李在明代表と共に民主党にとって、党外への遠心力を生む存在として、警戒の対象とならざるを得ないものとなった。

次期大統領選に向けて、祖国革新党を含む非李在明系の進歩勢力は、その影響力と存在感を改めて誇示することに成功した形となり、親李在明系が主流派を形成する共に民主党との確執は避けられないものと思われる。

政権審判と日韓関係の展望

総選挙の敗北によって、尹錫悦政権の外交政策や対北朝鮮政策が軌道修正されることを懸念する声があるが、外交や国防は大統領の権限によるところが大きいだけに、その基調が揺らぐことはないものと思われる。中でも、尹大統領が自ら主導する形で一気に始まった日韓関係改善の動きは、既に多方面にわたって急速に進んでおり、米国を軸とする日米韓連携の強化にもつながったといえる。尹大統領は、選挙期間中の４月１日の対国民談話において、「回避したい人気のない政策も、国民と国益にとって必要であるならば、果敢に実践しながらここまでやって来た」とし、その一例として、党の内外から寄せられた支持率低下を心配する声をよそに、崩壊した日韓関係の改善に自ら取り組んだことに言及し、今や年間１０００万人近い両国民が相互訪問しており、企業間の協力は活発になり、競争力は向上したと、その成果を強調している8。

また、選挙後の５月９日、政権発足２年を迎えた国民報告の質疑応答においても、日韓関係について、「歴史と一部の懸案を巡って両国と両国民の立場の違いが確実にある」と認めたうえで、「両国の未来と未来世代のために我々がどうすべきなのかを考えなければならない」、「様々な懸案や歴史が障害物になるかも知れないが、我々が確固とした目的志向性をもって、忍耐すべきところは忍耐していきながら、進むべき方向に歩んで行かなければならない」と述べている。そして、「具体的には、北の核に対応するために、両国の経済協力のために、インド太平洋地域とグローバル社会における両国の共同アジェンダを推進するリーダーシップ確保のために協力しなければならない」としたのである9。

破綻した日韓関係の再生にあたって、尹錫悦大統領が見せたリーダーシップは、尹錫悦政権の掲げる「グローバル中枢国家」構想に基づくものであった。世界的な複合危機によって複雑化し、緊迫度を増す安全保障戦略環境に対して、米韓同盟の進化と日米韓三か国の戦略的協調なくして適切に対処することはできず、そのためには日韓関係の修復が不可欠であるとの判断によるものである。それだけに、日韓関係の再生と日米韓連携の強化は、北朝鮮に対する抑止力確保と朝鮮半島における平和維持の観点からも、尹錫悦政権にとって誇るべきレガシーともいえる成果なのである。

（１）政権攻撃材料としての「対日屈辱外交」

いうまでもなく、総選挙の惨敗という結果が尹政権の求心力を低下させることは確かであり、それが今後の対日外交にとってもマイナスであることは否めない。日本に対して過去の清算を求める市民団体の声や、尹政権の対日外交に対する野党の批判はこれまで以上に高まりを見せることになるであろう。しかし、それを受けて尹政権の対日外交が後退するとは考えにくく、寧ろかえって、自らに残された３年の任期をフルに活用し、後戻りできない形を整えることに、より一層注力する可能性もあるのではないかと思われる。

ただ、懸念されるのは、尹錫悦大統領自身の大胆な譲歩によって日韓関係が再び動き出したにもかかわらず、日本側からは韓国に対して、それに見合うだけの配慮と歩み寄りがなされているとは言い難いとの不満が、韓国の報道のみならず、韓国政府内にもくすぶり続けており、そのことに対する日本側の関心が低い点である。尹大統領が口にした「忍耐すべきところは忍耐しながら」との一節は、自身のリスクを背負った決断に対する日本側の呼応に、必ずしも満足できていないことの表れとも受け取られるものである。

「政権審判」を掲げた総選挙で勝利し、民意を得た形の野党にとって、尹錫悦政権の対日政策はまさに「屈辱外交」であり、審判の対象となるのは当然であった。それは、大統領自身の強力なリーダーシップによって推進され、政権のレガシーともいえる成果であると認識されているからこそ、格好の標的となるほかなかった。大統領の弾劾に言及するなど、反尹錫悦の急先鋒である祖国革新党の曺国代表が、選挙後、尹錫悦政権の対日屈辱外交を審判するとして、共に民主党の国会議員らに続いて竹島（韓国名独島）を訪問したのは、必然であった10。

また、無料通信アプリＬＩＮＥ利用者の個人情報が流出した問題を受けて、ＬＩＮＥヤフーに対して二度にわたって行政指導を行った総務省が、再発防止策として、情報流出の一因となった親会社である韓国ＩＴ大手ネイバーとの資本関係を見直して、セキュリティガバナンスを徹底することを求めた問題を巡っても、公権力による外国企業の資産売却の強要は国際基準と相容れない重大な違反行為であり、日本政府が不当な圧力をかけて株式売却を迫り、ＬＩＮＥヤフーの経営権を奪おうとしているのではないかとの疑念と反発が韓国内で惹起されている。野党や一部報道では、尹錫悦政権の対日弱腰外交が招いたものとの批判がなされているほか、李在明代表は、松本剛明総務相が初代韓国統監である伊藤博文の子孫であることと結びつけ、「伊藤博文、朝鮮領土侵奪。伊藤博文の子孫、大韓民国サイバー領土ＬＩＮＥ侵奪」とＳＮＳに投稿して、国内のナショナリズムを煽っている11。日本ファクターを利用した尹錫悦政権攻撃は今後も続くものと思われる。

（２）陣営対立の先鋭化と内政化する日韓関係への懸念

実利重視で現実主義的ともいえる尹錫悦政権の日本との関わり方は、とりわけ、与党を親日保守既得権勢力と位置付け、それを一掃することで大韓民国の主流を交代し、「完全に新しい国」を実現することを掲げた、民族史観に立つ理念重視の文在寅前政権の流れを汲む野党勢力にとっては、反民族的な屈辱以外の何ものでもなかった。彼らにとって、国民の力へと至る歴代保守勢力は、日本統治からの解放後、本来ならば真っ先に断罪されるべきであった親日派が、分断と冷戦の流れの中で温存され、独裁権力と結びついて反共や経済開発を担う主力となり、既得権化して社会の隅々に蔓延し、国を牛耳ってきた正統性を欠く存在であった。積弊として清算されるべき対象だったのである。

そうした歴史観の下で保守対進歩の理念対立が激化していく中、進歩勢力にとって保守勢力との戦いは親日派との戦いであり、各種選挙は「韓日戦」と言われるようになっていった。そして、積弊清算の標的は、国内の親日派と親日残滓にとどまらず、正統性にも正当性にも欠ける独裁政権が強行した正義のない外交だったともいえる１９６５年の日韓国交正常化にまで拡大されていくことになった。こうして、韓国内の政治的分断が外交へと波及する形で、日韓関係は内政化された。外交の内政化である。

尹錫悦大統領は当初、「自由と繁栄の大韓民国」を掲げて、新たな近現代史観を提示した。それは、韓国が辿ってきた近現代史の歩みを、自由を取り戻し、守り、拡大する、自由のための絶え間ない闘いの過程ととらえたものであった。そこでは、抗日独立運動家も、反共の兵士も、経済開発を担った働き手も、それを率いた指導者も、民主化運動家も、「自由と繫栄の大韓民国」を築くために献身し、犠牲となったすべての人たちが独立運動家であるとされた。植民地時代の抗日闘争から続く、自由を追い求める闘いの道のりは現在も進行中で今後も続くものとされたのである12。進歩勢力の歴史観を否定し、排除するのではなく、包容する形で示された新たな歴史観は、尹錫悦政権なりに、保守と進歩の理念対立を包容することによって乗り越えようとした統合の試みと言えるかも知れないものであった。

そして、そうした新たな近現代史の解釈の中に日本を位置づけることで、かつては奪われた自由を取り戻すために抵抗し、闘い、打ち負かして、その支配から抜け出さねばなければならない相手であった日本が、今や、世界市民の自由を脅かす挑戦に対して、同じ側に立って力を合わせ、ともに立ち向かっていかなければならない隣人であるとされたのである13。それは、韓国内の分断と対立が反映される形で、日韓関係が揺らぐ事態を防ごうとする取り組みともいえるものであった。

ところが、尹錫悦政権による包容による統合の試みは、早々に霧散することになった。ことさらに「自由」を強調してきた大統領自らが、反共としての「自由」を前面に進歩勢力を排除し、闘う姿勢を鮮明にしたのである。

すなわち、「保守も進歩も自由民主主義のうえにあるものであり、自由大韓民国のアイデンティティは守らなければならない」としたうえで、「それを揺るがし、脅かし、否定する勢力があまりにもたくさんおり、与小野大の国会も、野党勢力が押さえているマスコミも、そういう勢力とは戦うほかない」と述べたのである。そして、「統合や妥協は必要だが、それをどんな価値でどんな仕組みでやるのか、国家のアイデンティティを省察し、国をどう引っ張っていくのか、確固とした方向性を決めなければならないということに、国民統合を推進していくうえでの前提として、共感する必要がある」と力説したのである14。

それはまるで、野党に対して、自由民主主義か共産全体主義かの選択を迫るかのようであり、対立構図の先鋭化は避けられないものとなった。

韓国国内の理念対立と感情的な陣営論理に支配された対決構図が先鋭化すればするほど、日韓関係の再生へ向けた尹錫悦政権の取り組みが、総選挙で圧勝を収めた野党勢力による政権攻撃の対象となることは避けられないであろう。それは、尹錫悦大統領自らがリスクを承知のうえで強く推進してきたものであるだけに、なおさらである。日韓関係が再び、韓国国内の政治的分断と社会的対立が投影される形で国内問題化し、外交の内政化に拍車がかかっていく事態が懸念されることは否めないであろう。

韓国国内において尹政権が苦境に陥り、対日政策が批判対象とされることは、日本のみならず、大統領選を控えて、日米韓連携を対中戦略の基軸として強化してきた米国のバイデン政権にとってもマイナスである。日韓関係の改善基調を後戻りできないものにするためにも、日韓関係において、韓国が屈服し、日本がひとり勝ちしたとの印象を与えることは極力回避すべきである。２０２５年の国交正常化６０年を前に、大局的見地から、経済界を含む日本側のより積極的な呼応を可能にする指導力が発揮され、戦略的日韓関係の構築と、日米韓協力の強化に向けた具体的成果を、多方面で目に見える形で実感できるよう、着実に積み上げていくことが求められるであろう。

（静岡県立大学教授）

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