新型コロナをめぐる中台の攻防と台湾の安全保障

カレントトピックス

尾形誠
前日本台湾交流協会台北事務所主任

大陸から来た新たな脅威

台湾では、「脅威は大陸からやってくる」と言われている。総統選挙を目前に控えた昨年12月31日、大陸から新型コロナウイルス（台湾では「武漢肺炎」と称される）という新たな脅威がやって来た。しかも悪いことは重なった。1月2日、沈一鳴・参謀総長一行を乗せ春節前の部隊慰問へ向かったUH60Mブラックホークヘリコプターが台湾北東部の山中に墜落し、沈参謀総長を含む8名が殉職したのである。12月31日、蔡英文政権が域外敵対勢力による台湾への介入・浸透を防止する「反浸透法」を成立させた矢先の出来事であり、コロナウイルスは中国の細菌兵器の流出ではないか、事故は中国による斬首作戦ではないのか、との謀略説さえ取りざたされた。

台湾では四年に一度、1月上旬に総統・立法委員選挙が実施され、5月20日の就任式典まで、実に4ヶ月に及ぶ長い移行期間がある。政権交代となった場合、この期間は「憲政白窓期」（政治的空白時期）と呼ばれ、下野する政権はレイムダック化したまま存続し、次期政権は未だ成立せず、政治・安全保障上の大きな問題点として指摘されている。新型コロナとの戦いは、正にこの移行期間と重なった。蔡政権は、選挙で圧勝した勢いを背景に、国民を団結させ政権への求心力を高め、一気に封じ込め作戦を成功に導いた。しかしながら、仮に「憲政白窓期」と新型コロナの来襲が重なっていたならば、結果は180度異なっていたであろう。台湾は、幸運であった。しかし台湾の幸福は、中国のご不幸である。中国は、「以疫謀独」(疫病対策を口実に独立を目論む)と非難し、台湾に対する圧力を一層強化した。

台湾統一に向けた「手段」そして「時間表」

「反国家分裂法」は2005年、独立傾向を強める陳水扁政権に対し、台湾の「独立阻止」を目的に制定された法律であり、「統一の手段」を「平和的手段」と「非平和的手段」に分けた。「平和的手段」とは、両岸住民の往来、直接の通信・通行・通商、経済面での交流等を通じ関係を発展させ、敵対状態の終了等について話し合い、平和的に統一するとして、そのプロセスを具体的に示した。一方「非平和的手段」については、具体的に何を指すのか一切言及していない。「非平和的手段」は、武力行使を示唆する表現ではあるがイコールではなく、平和統一のプロセス以外の全ての方法を含むと捉えられる。即ち、全面的武力侵攻に至る段階的手段、例えば経済制裁、武力による威嚇、限定的な武力行使等を含むと解釈されている。中国は、平和的手段で統一を実現することと武力行使に道を残し台湾の「独立阻止」を図ることは、対立するものではなく、相互に補完し両立して、完全な対台湾統一政策を構成するとしている。いわば「非平和的手段」とは、台湾を平和統一の道に繋ぎ止めるためのヘッジと言え、台湾が独立の方向に進めば、「非平和的手段」も段階的に強化されるものである。

蔡政権成立以降、習政権は両岸関係を「冷和」(冷たい平和)に戻し、一度も平和統一のプロセスは動いていない。中国は、「和平統一、一国両制」という錦の御旗を下すことは決してせず、台湾を繋ぎ止めるヘッジとして「非平和的手段」が持つ曖昧性と政策的フリーハンドの中で、取り得る方策を段階的に強化していると言える。

2019年1月2日、習は「台湾同胞に告げる書40周年記念」において自身の包括的台湾政策「習五項」を明らかにし、統一工作の方針を従来の「独立阻止」から「統一促進」へと転換し、「統一の時間表」を設定した。習は、台湾統一を「中国の夢」と結び付け、自分の代で解決するとの強い意志を示した。しかも台湾民衆が受け入れを拒否する「一国二制度」に「台湾方式」という概念を付け加え、国民党との同床異夢の合意であった「92年コンセンサス」について一方的に再定義した。台湾は、「習五項」は台湾民意がどうであろうと、どの政党が政権を握ろうと、もはや全く意に介さず、20４9年の建国百年までに「祖国の完全統一」を実現するとの宣言であると理解している。

「和平統一」から「武力威嚇」へ

蔡政権が成立した２０１６年の末、北京で開かれた人民日報系機関紙『環球時報』の報告会において、前国務院台湾事務弁公室副主任で退役少将の王在希が気になる発言を行った。「台湾問題を放置しておけるのは30年。平和統一の可能性は益々遠のいており、反国家分裂法の内、平和統一の可能性が完全に失われた場合が該当する。歴史的には、共産党軍が国民党軍を包囲し、最後に談判で投降させ北京を無血開城した『北京モデル』(注)がある」と述べたのである。

台湾総統選を間近に控えた昨年12月21日、『環球時報』報告会においてタカ派の論客として知られる元南京軍区副司令員・王洪光退役中将が、『南京モデル』(注)での統一に言及した。王は、「既に一国二制度が台湾に定着する余地はない。平和統一の窓は完全に閉じ去った。台湾を統一する場合、『南京モデル』が最も相応しい。台湾の３つの離島、即ち東引島・東沙諸島・澎湖列島を手中に収め、台湾を震撼させ解放を迫る」と述べたのである。

蔡再選によって中国が強く問題にしたのは、政権継続以上にその体質変化にあった。1期目、蔡は「意思疎通を図り、挑発せず、想定外の事態を起こさない」と述べ、92年コンセンサスに関しても「若干の共通認識に達したという歴史の事実を尊重する」とし、ぎりぎりの歩み寄りを見せた。今期は、「台湾は既に独立した国家であり、名前は『中華民国台湾』。独立を宣言する必要はない」と言い切ったのである。5月29日に開催された「反国家分裂法」施行15周年座談会において、統合参謀部参謀長・李作成上将は、「我々は武力行使を放棄すると約束しておらず、必要なあらゆる措置を取る選択肢を保留するのは、台湾海峡の状況を安定させ、両岸関係が平和的発展の軌道から離れないようにするためだ」と台湾に対する武力威嚇によるヘッジを一段と強化すると取れる発言を行った。

新型コロナに対する解放軍と台湾国軍の対応

習近平が解放軍に対し新型コロナ防疫管理に関する重要指示を出したのは1月24日、武漢封鎖(23日)と春節(25日)の間である。解放軍は即日、陸海空医療部隊の武漢への投入を開始し、撤収が完了する4月15日までに延べ4000名以上の医療従事者を派遣した。しかしながら解放軍の主任務は、湖北省医療能力への支援であり、武漢火神山病院等、新たに設置された3か所の病院における医療支援業務に限られていた。中国全土から３４６の医療支援隊が編成され42600名の医療従事者が湖北省に投入されたことと比較すると、解放軍医療人員が占めた割合は1割に満たない。他に解放軍は、大型輸送機・鉄道・車両による武漢への人員・医療物資の輸送、全国63か所の病院で約3000床のベッドを設置し、約10000名の看護人員を投入する等、第一線の防疫業務を支援した。また解放軍総病院は、CBR兵器を担当する第5医学センターが重症患者の治療を担当するとともに、機動防疫医療隊を編制し、全国100か所以上の基地において感染状況検査を実施し、部隊の感染予防に努めた。国家を総動員した新型コロナとの戦いであったが、解放軍が果たした役割は限定的であったと言わざるを得ない。背景には、解放軍の指揮権は共産党のみにあり、防疫任務に当たった国務院・地方政府等の指導小組には解放軍を動かす権限が無く、また制度的な調整機能も明確でない等の構造的問題がある。

解放軍内の感染状況については、実態把握は困難である。2月9日、10日にはH-6爆撃機、J-11戦闘機、KJ-500早期警戒機がバシー海峡を経て台湾東方空域へ進出、宮古海峡から台湾海峡中間線に沿って南下する飛行が行われ、10日には海峡中間線を一時的に越境した。2月10日、東部戦区報道官は「東部戦区は、海空戦力による戦備巡航訓練を実施した。当該訓練は台湾独立を打ち砕く目的である」との声明を出したが、声明にあるような艦艇の活動は確認されなかった。この訓練は、頼清徳・副総統の訪米(2日～10日)に対する強い不満の表明として実施されたが、新型コロナへの感染により艦艇の参加を見送らざるを得なかったものと考えられる。2月17日付『解放軍報』(内地版)は、「東部戦区で多くの兵士が隔離監察を受けており、その中にはミサイルフリゲート艦『常州号』艦長・余松秋も含まれている」と報じている。また2月28日、国防部報道官は、「解放軍は、軍事訓練と感染予防対策の両立完遂に努力している。軍事訓練において、解放軍は一部の大規模演習の延期を含む、感染予防対策に適合する訓練秩序を確立し、感染の危険レベルに応じて部隊の訓練を差別化して構成する等の処置を行っている」旨表明している。4月12日には、空母「遼寧号」を含む6隻の艦艇が、台湾東方海域からバシー海峡を経て南シナ海に入り演習を実施した。この時期、米空母でコロナ感染が発生し活動が停止する中、解放軍内も一定規模の感染と隔離による影響は受けたものと考えられるが、感染によっても作戦行動は全く影響を受けていないと強調し、台湾に対する威嚇と米国に対する牽制を維持したものと考えられる。

台湾国防部にとって、コロナ禍にある解放軍の動向、特に特異状況の有無は最大の関心事であり、「防疫視同作戰」(防疫と作戦を同一と見なす)との方針の下、国家の防疫業務の一端を担いつつ高まる軍事的威嚇・挑発に対処した。3月25日、立法院において国防部電波情報発展室・郭先琛主任(少将)が、「過去2か月間の動態観察に基づくと、感染状況対応下においても中共海・空軍部隊に変化は見られない。但し、地上部隊の大規模演習は一時的に停止されており、小部隊の訓練のみ継続されている。我々の情報監視において、解放軍に特異な動向は確認されていない」との答弁を行っている。

台湾では、SARSの教訓として2004年に米国の疾病予防管理センター（CDC）を参考に「国家防疫指揮機構」(NHCC)が立ち上げられ、その中に国軍の指揮系統が組み込まれた。伝染病予防法と中央感染症指揮センター実施措置法に基づき、国防部副部長(軍備担当：中将)はNHCC副指揮官として、国防部関係部門と協力して防疫活動任務を適切に実施すること、また国防部軍医局長(少将)と参謀本部副参謀総長(中将)は、NHCC執行官として、前者は国軍医療組織における防疫活動に関する責任を負い、後者は軍令系統における兵力動員と支援任務に関する責任を負うとされた。国防部は、1月22日に「特殊伝染病対応センター」を立ち上げ、軍医局長は、全国5か所の国軍総病院と地方分院に防疫・治療・普及活動を実施させ、国防医学院予防医学研究センターに検体検査・ワクチン開発等の業務を命じた。副参謀総長は、現役将兵約57000名、予備役約13000名を民間工場に動員しマスク増産活動を支援し、また陸軍第６軍団第３３化学兵群に対し、国家指揮中枢機能、帰還チャーター機及び市内等の消毒活動を実施させた。その他、工兵部隊による旧式兵舎の減圧隔離室への改修、輸送部隊による医療・民生物資の輸送支援が行われ、更には感染が拡大し都市封鎖等が必要になった場合に備え、憲兵隊による警察の社会秩序維持への協力、医療従事者の必要装具の確保や活動要領、封鎖都市への生活物資輸送計画等が検討された。

この間、軍事交流から帰国した２名の大将を含む約４００名の将兵が２週間の自宅隔離措置を受けたが、感染者は確認されなかった。４月１８日には、パラオへの親善遠洋航海訓練から高雄へ戻った新型輸送艦「盤石号」において乗組員の集団感染が確認され、最終的には感染者が３６名に達したが、調査の結果出航前の感染であることが判明し、幸い市中感染も確認されなかった。この件で海軍司令、艦隊指揮部指揮官、練習艦隊指揮官等が処分を受けている。

コロナ禍の活動を通じ改めて明らかになったのは、解放軍はやはり共産党の軍隊であり、新型コロナのような特殊災害対処に関しては、党と国家の指揮関係が不明確で使いづらい側面があるのに対し、台湾国軍は、民主国家の軍隊として、国家・国民と共にあり、伝統的脅威にも非伝統的脅威にも対応できる体制・能力を整えているということであろう。

マスク外交を通じた中台の攻防

中国は、中台の世界を舞台にした支援競争を体制間競争と捉え、台湾は中国式統治の優位性に挑戦する民主主義の手先と写った。台湾の成功は、決して受け入れることができない想定外であり、中国から激しい怒りと嫉妬を買うこととなった。4月１０日、『環球時報』は「世界进入多事之秋、台当局须悠着点」（世界は多事多難の時に突入、控えろ台湾）という表題の社説を掲載した。社説は、「台湾の軽挙妄動は、ポストコロナの新たな世界情勢の中で、台湾を真の危険に導く」と警告し、最後の一文を「勿谓言之不预」（警告しなかったとは言わせない）で結んだ。同じ表現は、5月29日付人民日報にも登場した。この表現は、中国が本気で開戦を決意した際に使用される常套句とされ、1962年の中印国境紛争、1969年の旧ソ連とのダマンスキー島事件、1979年の中越紛争時にも使用されており、いずれも武力衝突に発展している。

2020年上半期、台湾周辺での解放軍海空軍の活動は、延べ17回に及んでいる。5月12日、北京発共同電は、「解放軍が8月に東沙諸島奪取を目的とした演習を南シナ海で計画」と報じた。東沙諸島は、台湾海峡の南端、バシー海峡通過の喉元、南シナ海への入り口に位置する戦略的要衝であり、台湾防空識別圏(ADIZ)西南端の外側に位置し、王が『南京モデル』で奪取すると述べた島である。更に6月9日、嘉手納を離陸した米軍C-40A輸送機が台湾の承認を得て台湾領空を通過すると、中国は、「我が国の主権と安全を侵害する非合法的かつ重大な挑発行為」と強い反発を示し、以降7月10日までに10回、台湾ADIZ西南空域内へ侵入を繰り返した。台湾は、解放軍の行動は、訓練の常態化を通じて台湾ADIZへの侵入を既成事実化するとともに、台湾空軍の反応時間や飛行経路を確かめ、東沙諸島攻撃計画の確認・修正をすることにあると分析している。6月初旬には、解放軍第73集団軍隷下の混成旅団が接岸上陸・実弾射撃演習を実施したと伝えられ、7月の台湾・漢光36号演習では、海軍陸戦隊第99旅団が東沙に派遣され、防衛作戦演習を実施した。9月9日、10日、解放軍は台湾ADIZ西南圏内で海空協同演習を実施したが、台湾国防部が記者会見で用いた示意図からは、演習の目的が台湾に東沙防衛は不可能と知らしめることにあったと推定される。因みに台湾では毎年8月、国防部が立法院に来年度予算案を提出する際、併せて「中共軍事力報告書」を提出しているが、201８年版からは、「『奪我外・離島』（我が離島奪還）作戦能力を有する」との記述が追加されている。

台湾の安全保障への影響

来年7月、中国は２つの百年(2021年の共産党創設百年と2049年の建国百年)の初めの百年を迎える。習がこの時までに、二つ目の百年に繋がる一里塚となる具体的成果を求めることは無いであろうか？本年は、2015年習が発動した解放軍の組織機構改革の完成年に当たり、また19回党大会で示された「機械化の実現、情報化の進展、戦略能力の向上」という軍の目標の達成年に当たる。中国は、これらを確認するために、何らかの実戦的な大規模演習を行う可能性が高いと台湾は見ている。東沙奪還が現実味を帯びて語られる所以である。

また、米中関係が全面的な対決に向かう中、台湾周辺での米軍艦艇・航空機の活動は増加しており、解放軍の西太平洋への進出も常態化が進んでいる。解放軍が米軍艦艇・航空機や台湾のスクランブル機等に対し挑発レベルを逐次エスカレートさせ、偶発的事故を契機に一挙に軍事的緊張が高まることも懸念される。例えば2001年に海南島上空で発生した解放軍J-8Ⅱ戦闘機と米海軍EP-3の空中衝突事故や2014年空自スクランブル機に対して累次行った異常接近などである。中国は近年、所謂グレーゾーンの事態として準軍事的手段による妨害行為を行う傾向を強めており、海上民兵を乗せた漁船が台湾海巡署の警備艇等を取り囲む、若しくは暗夜に乗じて離島へ上陸を敢行する等の事象が発生することも懸念される。

統一へ邁進する習の思いとは裏腹に、現実の台湾は統一から離れる方向へと進んでいる。現在、中国による対台湾統一工作は、軍事・政治・経済・社会等の分野を組み合わせ複合的に展開されているが、コロナ禍を契機として台湾の全面的な「脱中国化」が進行し、政治・経済・社会等の分野では従来のような効果が期待できなくなり、唯一残された軍事的手段への依存度が高まる可能性がある。中国は、「非平和的手段」は台湾を「和平統一」に繋ぎ止めるヘッジであるとして、一段また一段と強化しているが、遂にヘッジが外れた瞬間の暴発を危惧するのである。

(注）国共内戦時の大都市武力解放モデル（武統模式）の一つ。
「北京モデル」は、北京無血開城を例にした「和平解放モデル」。
「南京モデル」は、遠方包囲・限定的武力行使による「武嚇(武力威嚇)解放モデル」。
「天津モデル」は、全面攻撃による「武力侵攻解放モデル」。

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