提言・論考
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欧州のコロナ対応と国際関係

細谷雄一
慶應義塾大学法学部教授

はじめに

欧州諸国は、2020年3月上旬から5月半ばにかけて感染拡大の中心となり、感染者数と死者数ともに急増していった。その後、スウェーデンを除く多くの諸国で、ロックダウン（都市封鎖）措置をとることで感染拡大が落ち着き、6月から徐々にさまざまな制限措置が緩和されていった。

3月から4月にかけて、感染が急速に拡大していく中で、EUは適切な対応をとることができず、加盟国の多くがシェンゲン協定による人の自由移動を「凍結」して入国制限措置をとり、一時的に国境管理が復活した。これについては6月15日に解除されたが、EUは加盟国の市民の信頼を失い深刻な危機に直面した。

深刻な実存的な危機に直面したEUは、次第に従来よりも踏み込んだ協力を示すようになり、コロナ対策で必要不可欠な措置を導入していく。EUでは、4月以降、経済状況の急速な悪化にともない、多数の企業の倒産と失業者の大量発生を未然に防ぐためのさまざまな支援プログラムを発表している。とはいえ、EU全体として今年度の経済成長率は大幅に鈍化する見通しである。

表１：現在の欧州の新型コロナウイルス感染状況

他方で、2020年1月31日にEUを離脱したイギリスは、現在のところ2020年12月31日までの移行期間のさなかにあり、依然としてEU加盟国とほぼ同等の地位を維持している。他方で、6月30日までに移行期間の延長措置はとっておらず、さらには「将来関係協定」交渉もコロナ禍の影響で停滞している。コロナ危機と「合意なき離脱」が組み合わさることで、イギリスは主要な欧州諸国の中で最も大きな経済成長の鈍化に陥る可能性もある。EU離脱を実現したイギリスは、EU加盟国とコロナ対策での協調的な行動をとることをせずに、孤立した状況に陥った。いわば、コロナ対応をめぐってすでに、EUとイギリスは異なる進路をとるようになったといえる。以下、EUとイギリスにおけるコロナ対策と、両者の間の将来関係協定をめぐる交渉、およびその影響を受けた国際関係の推移について概観したい。

表２： 欧州各国の移動制限などの状況

※JETRO「欧州における新型コロナウィルス対応状況」（アクセス日2020年7月12日）
https://www.jetro.go.jp/world/covid-19/europe/

1 初期の混乱から国境封鎖へ

EU域内では、新型コロナウイルスが急速に感染拡大した初期の段階では、各国が自国優先の対応を行ったために、足並みが乱れて、相互不信が高まった。独仏両国は、感染拡大が深刻化していたイタリアに対して医療品の輸出の禁止などの措置をとり、EUとしての結束が乱れ、深刻な危機に直面した。

苦境に立たされたイタリアのジョゼッペ・コンテ首相は、「この危機に立ち向かえないならEUは存在意義を失う」と述べ、EUの対応を批判した。1 イタリアは、EU加盟国として最初に「一帯一路」構想に参加して、経済的に中国との関係緊密化を進めてきた。他方で現在のイタリアの政権は、左派ポピュリズム政党「五つ星」が中心となって組織されており、そもそもEUへは批判的な立場を示していた。イタリアは、欧州難民危機の際もブリュッセルの欧州委員会やドイツと関係を悪化させており、国民のEUに対する感情は悪化したままである。

とはいえ、そのような混乱と自国中心主義的な加盟各国の行動は、次第により協調主義的な政策へと変容していった。ドイツは、自国内の感染拡大がある程度落ち着いてくると、イタリアへの医療物資の支援や、医療崩壊に陥っていたイタリアから一部の重症患者を飛行機でドイツに移動させて医療支援を行うなど、より協調的な姿勢に転じていった。またEUも同様に、加盟国や加盟国内の中小企業や個人を支援するための多様なプログラムを示すようになっていった。

2 EUによる支援プログラム

EUは、従来からあった感染症拡大の際の対応策に加えて、新たな金融支援策など多様なパッケージを用意して、経済や医療が脆弱な加盟国を支援する方向へと動いていった。なお、EUでは2019年12月1日に人事の交代があり、欧州委員会ではドイツ人政治家のウルズラ・フォンデアライエンが委員長に就任して間もない時期であり、まだ新体制が軌道にのる前の段階での感染拡大であった。そのことが、初動における対応の遅れや混乱の原因の一部となっていたといえる。

2020年3月10日、加盟国における感染爆発を受けて、新型コロナウイルス感染症拡大対策に関するEU首脳会議をビデオ会議方式で行った。ビデオ会議終了後、フォンデアライエン欧州委員会委員長は、次の二点を欧州委員会として優先的に取り組むことを明らかにした。2 第一に、欧州委員会は、EU加盟国の保険大臣および内務大臣との電話会議を毎日行い、必要な措置の調整を図る。第二に、欧州委員会は、免疫学やウイルス学の専門家チームをEU加盟各国から招集し、欧州レベルでの指導や助言を求める。それらを基礎として、欧州委員会は、個人防護具（PPE）や人工呼吸器などの生産能力や流通状況を把握して、それらの供給の調整を行うことになった。さらには研究開発としては、新型コロナを対象とする研究を支援し、さらにはワクチンの開発に対しては1億4000万ユーロの官民の資金を提供することを決めた。

さらには、ファンデアライエン委員長は、「経済面についてまず何よりも、マクロ経済レベルでの対策の実施が必要である」として、「欧州経済が難局を乗り切るため、あらゆる手段を講じる」と強い口調で語った。3 具体的には、3月半ば以降、矢継ぎ早に以下のようなプログラムを活用、あるいは新設して、必要な措置を講じることができるような努力を示すことになった。

（1） 「EU市民保護メカニズム」

まずEUは、既存の枠組みである「EU市民保護メカニズム（EU Civil Protection Mechanism）」を用いて、必要なところへと緊急支援を行えるような措置を執った。これは、域内外で重大な自然災害、テロ、原子力災害などが発生した際に、迅速な支援が可能となるようにEUが2001年に立ち上げたものであった。2011年3月の東日本大震災の後にも、この枠組みを用いてEUは日本に対して支援物資を提供し、緊急援助のための人材を派遣した。

4月から5月にかけての感染爆発と医療崩壊を受けて、EUはこの枠組みを用いてスペイン、イタリア、クロアチアにマスク33万枚を配布した。さらには、5月7日には、緊急購入した1000万枚のマスクの一部を、17の加盟国とイギリスの医療従事者のために送り届けた。EUは、このメカニズムのもとで、2019年以降には「rescEU」という枠組みの下で、災害対応能力強化のための物資を備蓄しており、今回はそれが役だったことになる。EUとして、ルーマニアとドイツにある共同備蓄のための戦略的配送センターから、必要な各国へと支援物資が提供された。またEUの枠組み以外でも、二国間で加盟国間の医療用品の提供が行われ、感染拡大を防ぐための実効的な措置が採られた。4

さらには、横浜に着岸していた大型客船ダイアモンド・プリンセス号に乗船していた加盟6カ国のEU市民を帰還させるための飛行機が、EUとして共同で用意された。また、フランスとドイツが共同で武漢からの400人のEU加盟国市民の帰還のためのフライトを提供して、そのため費用の75％はEU予算から拠出された。5 このように、初動で多くの問題が表出したEUは、次第に必要な措置をEUの枠組みで実施するようになり、感染拡大を抑制するために必要な措置を執ることができるようになった。そして、アメリカとイギリスで感染者数および死者数が増加し続ける中で、EU加盟国はより早い段階でその抑制に成功させることができた。

（2） 「コロナウイルス対策投資イニシアティブ」

EUのなかでは、域内での経済格差を縮小するための「結束政策」が存在する。「コロナウイルス対策投資イニシアティブ（CRII+; Coronavirus Response Investment Initiative Plus）」と称するこの新しいイニシアティブは、そのような「結束政策」の資金を提供する「欧州構造行使基金」を用いて、緊急に必要な中小企業の立て直し、部分的な失業手当、医療セクター援助など、加盟国の必要に応じて使用できるようにする提案である。これによって、EU加盟国内の企業や労働者が、コロナウイルスに伴うロックダウンなどにより経営困難となったり失業するような事態を回避したりするために、EUの資金を緊急目的で柔軟に活用することができるようになった。6

（3）「パンデミック緊急購入計画」

「パンデミック緊急購入計画」という新しい提案が2020年3月に発表され、欧州中央銀行（ECB）によ、計1兆3500億ユーロを投じて、公的・民間部門の債券を購入し、消費や投資を刺激することができるようになった。これはユーロ圏の経済を守るための具体的な措置であり、資金繰りが厳しくなる企業や組織に対して資金を提供できるように、従来のさまざまな制度を柔軟に運用することを規定したものである。これは、規模は限定的でありながらも、ある程度ECBの裁量で行える金融政策を用いた緊急的な措置である。7

（4）「チーム・ヨーロッパ」

2020年4月8日、パートナー諸国が新型コロナ感染拡大に対応できるようにするため、必要な援助を迅速に提供するために、EUは156億ユーロを充当することを決定した。これは「チーム・ヨーロッパ」と呼ばれる枠組みであり、EU域内のみならず近隣諸国も支援して、ヨーロッパにおける感染拡大を抑制したい試みである。「パートナー諸国」とは、EUと地理的に近接して繋がりの強い諸国を指し、EUとはさまざまな枠組みを用いて、特別に緊密な関係を構築している。またその一部の諸国は、将来のEU加盟を希望している。

この支援措置は、後には360億ユーロに拡大し、具体的には①差し迫った健康危機や人道的ニーズ、②研究・保健・水道システム、③より長期的な社会経済的影響の緩和、というようなことのために、この資金を用いることができることになっている。8 西バルカン諸国や、EU東部諸国、アフリカなどが主な対象である。

（5）「緊急時の失業リスク緩和のための一時的支援策（SURE）」

EUにおける経済と雇用を守るためのより強力な措置として、EUは2020年5月19日に「緊急時の失業リスク緩和のための一時的支援策（SURE; temporary Support to mitigate Unemployment Risks in Emergency）」を欧州理事会で採択した。これは、EUから加盟国への最大1000億ユーロの融資であり、EU市民の失業や企業破綻のリスクを予防・緩和するための措置である。いわば、コロナ危機に対応する一時的な欧州レベルでの包括的失業保険システムといえる。 9

具体的には、①欧州投資銀行（EIB）の支援による企業の保護、②欧州安定メカニズム（ESM）の支援による国家予算の保護、そして③欧州委員会が運用する一時的助成金による雇用と労働者の保護、というように幅広い支援策により企業の経営破綻とEU市民の失業を防ぐことを意図している。これについて、欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長は、「この危機には全力で挑まなければ成果はない。（中略） 可能な限り規制を緩和し、少しでも早く有効にあらゆる方策を講じることで、人々が職を失わず、企業が倒産しないように努める。EUは加盟国と共に、欧州市民の命と活力を守る――これが欧州式の連帯である」と、その目指すところを強調した。これは、6月1日から実際に運用を開始した。

そもそもEUでは、欧州レベルでの包括的失業保険システムが構想されていたが、加盟国間の立場の相違を調整できずにこれまで実現することはなかった。SUREはそれを、新型コロナウイルス感染症に対する施策として緊急に前倒しにしたものである。これはあくまで、コロナ危機のための緊急対策であり、その目的や期間は限定的である。だが、将来的には欧州レベルでの失業再保証制度の常設を妨げるものではなく、新たな道を切り開くものともいえる。欧州市民の雇用とEU域内の事業を守る、EUと加盟国間での強い連帯の証しが、SUREだと言える。10

（6）コロナ復興基金

2020年5月18日に独仏首脳が合意して、それを受けて27日にフォンデアライエン欧州委員長がコロナ復興へ向けた7500億ユーロ（約90兆円）規模の基金創設を提案した。これまでEUでは、金融政策は共通であったが財政面での統合は困難であった。これは、財政政策で共通政策をつくる画期的な試みである。

6月19日に開かれたビデオ会議形式でのEU首脳会議では、合意を実現することができなかった。もともとマクロン仏大統領が、EUにおける財政統合を提唱していた。ところが、ドイツのメルケル首相がそのようなEU共同債の発行に反対し、また財政規律を重視する「倹約四ヵ国」であるオランダ、オーストリア、デンマーク、スウェーデンもそのような動きには抵抗を示してきた。だが、EUの深刻な危機に直面して、メルケル首相が従来の立場を覆して、財政統合の必要性を了承した。しかしながらその内容として、返済義務のない補助金と、返済する必要が生じる融資とでどのような内訳にするかをめぐり激しい対立が見られた。欧州理事会のシャルル・ミシェル常任議長は、「難しい交渉なのは分かっているが、欧州の将来を決めるべき時だ」と各国に歩み寄るよう促した。11

7月17日から18日にかけてのEU首脳会議でも合意が生み出されず、その後交渉を続けて21日早朝にようやく合意がつくられた。5日間に及ぶ異例の長時間交渉となったが、ここで合意が創られた意義は大きい。フランスのマクロン大統領はツイッターで「欧州にとって歴史的な日だ」と投稿し、またミシェル常任議長も「極めて重要な瞬間とみなされるだろう」と会談終了直後の記者会見で喜びを伝えている。12 事実、長年の懸案であったEUの財政統合が前進した意義は大きい。というのも、これまではEUは経済政策の二つの柱である金融政策と財政政策で、前者のみの権限を有しており、後者はあくまでも加盟国の権限であったからである。金融政策と財政政策を有機的に連動させることで、EUはより強力な経済政策を実現できるだろう。

皮肉なことにこのような画期的な合意が生み出された一つの要因として、1月31日のイギリスのEU離脱を指摘できる。というのも、それまでイギリスがそのようなEUにおける権限強化には強く抵抗していたからである。イギリスの離脱と、新型コロナ危機という前例のない困難に直面して、EUは前進のためのインセンティブを得たといえる。

（7）「欧州グリーン・ディール」

新型コロナで深刻な打撃を受けたEUは、「グリーン・リカバリー」を掲げて、環境問題対策重視での復興方針を進めていく意向を表明した。経済的な景気回復を、環境対策のイノベーションなどを通じて実現していく見通しである。

具体的には、7月8日に欧州委員会が発表した「未来のエネルギーシステムとクリーンな水素の活用に関する戦略」において、「よりきれいな地球とより強力な経済という二つの目標によって突き動かされ、より効率的で相互接続されたエネルギー部門への道筋を示す」と記されている。そこでは、2050年までにEU域内の温室効果ガス排出を実質ゼロにすることが目指されている。これは、2019年12月11日に発表された、「欧州グリーン・ディールに関する欧州委員会のコミュニケーション」と称する、環境保護と経済成長の両立を実現するための基本方針を基礎にしたものである。13

このようにEUは、新型コロナからの復興をめぐって、アメリカや中国とは異なる独自の哲学を掲げている。いわば、EUは多くの困難に直面しながら、それらを乗り越えて域内での結束を回復しつつある途上にあるといえるであろう。

3 イギリスのEU離脱交渉

（1） イギリスのＥＵ離脱に至る経緯

EUは、初期の段階で新型コロナ危機への対応において躓きEU加盟国市民の信頼を失いながらも、3月半ば以降は次第に新しいイニシアティブを矢継ぎ早に提示することで、感染拡大防止と、企業の倒産や失業者の大量発生を防ぐための実効的な措置を執ってきた。そこには限界が見られながらも、7月21日に困難とみられていたコロナ復興基金をめぐる合意に到達してEUとしての財政統合をスタートできることは、大きな前進と言える。

他方で、イギリスは現在、きわめて厳しい状況のなかにある。イギリスは、EUからの離脱に関連して、今後の両者の関係を規定するための「将来関係協定」締結をめぐって交渉は停滞したまま進んでいない。移行期間が12月31日に終了することを考慮すると、イギリスは「合意なき離脱」という深刻な危機に直面する可能性が高い。そのような混乱と混沌を回避するために、現在もイギリスとEUとの間で交渉が継続している。

簡単に、昨年10月以降のブレグジットをめぐる動きを振り返りたい。イギリスとＥＵの間で成立の大きな困難を経た離脱協定案が、ジョンソン首相のもとで2019年10月17日に合意された。これにより、それに基づいたイギリスＥＵ離脱が確実視されていく。12月12日の議会下院選挙で保守党政権が過半数を得たことにより、ジョンソン首相は党内の離脱協定案に批判的な勢力もあるていど切り離して、多数を確保することが可能となる。

表3： ブレグジット交渉の推移

ＥＵ離脱を実現したイギリス政府は、その後、イギリスとＥＵとの間での自由貿易協定（FTA）を中心とした「将来関係に関する協定」を成立させるための交渉を開始した。2月中に、イギリスとＥＵとの双方が、基本的な交渉方針を公表したが、両者の立場は大きく隔たっており、当初から交渉の困難が予想されていた。

第1ラウンドの初回交渉の後、ＥＵ側のミシェル・バルニエ首席交渉官は、両者の関係が「これまでどおり」ではなくなるとの認識を示し、「こうした最終的な変化やそれらに伴う問題は過小評価されている印象がある」と述べ、次のような深刻な事態の見通しを示した。第一に、2021年1月から英国との全ての輸出入について通関手続きが適用されることになる。そして第二に、同日から英国で設立された金融機関は金融パスポートの効力を自動的に失う。第三に、英国当局が発行した許認可と認証に基づく車両や工業品、さらには医療機器などについては、EU市場での流通が認められなくなる。

いずれの点も、対外貿易の約半分がEUとの間のそれで占められているイギリスにとっては、巨大な衝撃となる。しかしながら、離脱強硬派で占められている現在のジョンソン政権の閣僚たちは、EUに譲歩するのであれば「合意なき離脱」でも構わないという強硬姿勢を崩していない。そのことが、イギリス国内の企業や、EU市場との取引が大きな割合を占めているイギリス国内の日系企業にとっては、大きな不安材料となっている。

（2）新型コロナ危機による交渉スケジュールの停滞

イギリスのＥＵ離脱を受けて、2020年3月2日から6月までの日程で、FTAを含む両者の将来の関係に関する協定をめぐる交渉が始まった。これは、批准などのための時間を考慮して、6月18日と19日の欧州理事会開催までの大枠合意、そして9月の欧州理事会までに最終合意を目指すものである。しかしこれは、あまりにも交渉のための時間が短く、また合意の実現も非現実的である。そしてこれはまだ、新型コロナのパンデミックが深刻に懸念される前の時期であった。

表4： 将来関係協定交渉のスケジュール

2020年3月2日に第1ラウンドの英ＥＵ将来関係交渉がスタートしてから、ヨーロッパでは急速に新型コロナウイルスの感染が拡大した。ＥＵ側の首席交渉官であるミシェル・バルニエがウイルスに感染、またデイヴィッド・フロスト英政府首席交渉官も感染症状が見られて自宅隔離したことで交渉が大幅に遅れることになった。

また、3月末にはジョンソン首相自らも感染し、4月5日からロンドンのセント・トマス病院に入院して、翌日から集中治療室（ICU）に入った。その後イギリス政府は「不測の事態に備えた計画」を用意し、この間、ドミニク・ラーブ外相が首相の公務を代行した。首相自らが感染したことにより、英ＥＵ将来関係交渉へのイギリス政府の対応、さらには新型コロナ対策の方針などを決定することができず、ブレグジット交渉も停滞し、イギリス政治は危機に直面した。

イギリスは、1月に成立した国内法である離脱協定実施法のなかで、自ら将来関係交渉の延期をしないことが規定されていた。コロナ危機により国内が混乱した状況においても、ジョンソン首相はその意向に変更がないことを繰り返し言及した。他方で、コロナ危機で当初予定していたスケジュールが大きく変更されることになった。それでも6月15日に行われたジョンソン首相とEUのウルズラ・フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長、そして欧州理事会のシャルル・ミシェル常任議長らとの間の、英EU首脳会談のビデオ会議の後の共同声明において、移行期間を延長せずに予定通りに2020年12月31日に確実に移行期間を終了させることが確認された。

将来関係協定交渉は、両者が妥協を示すことをしないために、閉塞状況となった。EU側のバルニエ首席交渉官は、「イギリスはいくつかの基本的な論点において、真剣に取り組むことを拒んだ」と批判した。また、新型コロナウイルスが蔓延する中で協議を加速させようとするイギリスの姿勢を、現状から「かけ離れた、非現実的なものとさえ言える」と非難した。他方で、イギリスのフロスト首席交渉官も、EUが「公正な競争条件」という概念を用いて、EUのルールを離脱後のイギリスに適用とすることに反発した。

現時点で、交渉の着地点は依然として見えず、「合意なき離脱」となる可能性が高まっている。

（3） 英ＥＵ交渉の争点

イギリスとEUとの間の交渉においてはいくつかの大きな障害が存在しており、見解の隔たりがあまりにも顕著である。そのなかでも、とりわけ以下の二つがその主要なものである。

① 「公正な競争条件」

EUは、2019年10月17日に合意した「政治宣言」の第77項に記されている「公正な競争条件（レベル・プレイング・フィールド; LPF）の確保」を、イギリスが尊重する必要を説いている。これをめぐり、その後の英EU間の摩擦が深まっていった。

「公正な競争条件」とは、EUとイギリスとの地理的近接性と経済的相互依存関係を踏まえて、公正で開かれた競争を実現するため、公正な競争条件の実現を確約することであるとEUは位置付けている。すなわち、移行期間終了後も、政府補助金、競争法、社会・雇用規則、環境基準、気候変動、租税などの分野で、現在EU内で履行されている高い水準を維持することを求めるものである。というのも、もしもイギリスがEUの近隣で、EUとは大きく異なる条件で経済活動を行うのであれば、EUは競争上不利になるからである。あくまでもイギリスが、そのようなEUの環境基準や労働基準を遵守し続けることを、イギリスとEUとの間のFTAを形成する上での条件としており、それが受け入れられないのであればEUとしてはイギリスとの間で自由貿易協定は合意できないという立場である。

そもそも、イギリス政府自ら、そのようなEUからの要求を「政治宣言」のなかで受け入れているのであるから、今になってそれが受け入れられないということは十分な説得力がない。だが、これらの「公正な競争条件」をイギリスが適切に遵守しているかどうかの判断を、あくまでも欧州司法裁判所（ECJ）で行わなければならないことから、それはイギリス国内では大きな抵抗が観られている。これは、イギリス国内の離脱強硬派が強く反発しており、実質的にイギリスがEUのルールの監督下に入ってしまうことが警戒されている。

② 「例外のない完全な無関税」

もうひとつの、イギリスとEUとの間の交渉での障害となっているのが、イギリス政府の「例外のない完全な無関税」を求める主張である。これはどういうことであろうか。

新型コロナウイルスの影響もあり、現在のペースでは年末までに合意を形成するのが実質的に不可能な状況である。そのようななかで、協議を簡素化して交渉の時間を短縮するためにも、イギリス政府はEUとカナダとのFTA（CETA）や、日EU間EPAなどの条項を「コピー・ペースト」して、貿易品目で例外品目のない完全な無関税でのFTAを求めている。というのも例外品目についての協議を始めると、過去の例からも、長時間にわたる交渉期間が必要になり、年末までの交渉妥結と批准を実現することがきわめて困難になるからである。いわば、名目的のみでも年内の交渉妥結を求めて、重要な事項を棚上げにすることで、原則合意のみでもまとめたいというイギリスの意向が透けて見える。

交渉にあたってEU側は、第三国とのFTAを「コピー・ペースト」して自らのＥＵとの間の協定として活用する姿勢を、批判している。EUとしては、これまでカナダや日本との間で交渉の結果締結した協定の内容を、そのままのかたちでイギリスとの協定に適用はできないという立場である。それは当然であろう。だが、もしもそうだとすれば、年内の交渉妥結はきわめて困難になるために、両者の間で受け入れ可能な妥協策をこれから見出さなければならない。きわめて困難な道程であるが、双方の工夫により何らかの形式的な原則合意を生み出すことは不可能ではないであろう。だが、両者の間に信頼関係が存在しないことが、交渉の上での大きな障害となるであろう。

おわりに

EU加盟各国は、新型コロナ感染症対策については、各国ごとに国内で策定して実施しているが、医療品やマスクなどの供給は、「EU市民保護プログラム」を用いて不足している諸国に提供するよう試みていた。ただし、初動では混乱と自国優先主義が顕著であった。

感染拡大後の、EUにおける復興プロセスについては、財政統合を含めたEUとしての連帯と結束、共同行動を実施しつつある。ただし、離脱をしたイギリスは加わっていない。イギリスは、今後、コロナ禍の衝撃と、「合意なき離脱」の可能性によって、経済がより悪化していく可能性があり、国際的な影響力の低下が懸念されている。

他方で、結果として、イギリスを加えたコモンウェルスが日本にとってこれまで以上に大きな重要性を帯びるようになってきた。イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、カナダというように、日本と価値を共有する自由民主主義諸国が含まれており、経済的にも自由貿易協定などを通じた緊密な関係を築きつつある。

現在の国際関係は、米中という二つの大国の意向に大きく左右され、米中関係がその中核的な位置を占めている。他方で、EUは、コロナ禍による甚大な被害と、ブレグジットという二つの衝撃により経済が危機に直面している。しかしながら、そのような危機をEU加盟諸国は、財政統合という従来は困難であったハードルをクリアすることによって乗り越えようと決意している。それがどの程度実効的かは、今後の交渉と合意によって決まっていく。

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