提言・論考
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イースタニゼーションとアジア安全保障

渡部恒雄
笹川平和財団上席研究員

イースタニゼーションと自由で開かれたインド太平洋

バイデン米政権の成立100日間に示した外交の最重要課題が、対中対抗・競争関係の強化とインド・太平洋地域への関与であることに異論はそうないだろう。菅首相との電話会談、習近平中国国家主席との電話会談、クアッド首脳会談（オンライン）、日米2プラス２，米韓2プラス２，米中外交トップ会談、米印国防相級会談、日米首脳会談、米韓首脳会議と、予想外のハイペースで、米国のインド太平洋外交が展開された。

そして興味深いことは、バイデン政権の動きと同時に、欧州諸国がインド太平洋への関与姿勢を見せていることだ。EU（欧州連合）は9月にインド太平洋戦略を定めることを発表し、 1 5月にはフランス軍が鹿児島沖の東シナ海で日米豪との共同海上訓練に参加し 2、九州の霧島演習場で日米の離島防衛のための演習に参加した 3。また5月20日、欧州議会はEUと中国が大筋合意した投資協定について、批准に向けた審議を停止する決議を賛成多数で可決した。 4

現時点で判断できることではないが、米国と欧州のインド太平洋への関心のシフトは、「イースタニゼーション」（東洋化）といえる歴史的な潮流の一つといえるかもしれない。フィナンシャル・タイムズの外交担当コラムニストのギデオン・ラックマンは、著書「イースタニゼーション」において、実際に経済力や軍事力などの力の均衡点が、米欧からアジア寄りに動いているという現実の変化を基に世界の趨勢を読み解いている。

ラックマンによれば、1490年代の大航海以降、数世紀にわたってヨーロッパの軍事、航海技術、産業の発展により、西洋が優勢になり、ヨーロッパの帝国主義により、東洋の多くは植民地や搾取の対象となってきて、西洋優位の時代が確定した。それが、1960年代から始まった日本の経済発展から、韓国、台湾、シンガポール、香港の経済がそれに続き、現在では中国が経済規模世界第一位の米国に迫る経済・軍事大国となり、東南アジアやインドの経済発展も目覚ましい、という現象が顕著になっている。 5

ラックマンは、IMFが示した購買力で比較した世界の4大経済大国は、1位中国、2位米国、3位インド、４位日本で、実にその3つがアジアにあると指摘する。そして、筆者が加えるに、２位の米国はアジアの国家とはいえないが、太平洋に面しハワイやグアムなどの太平洋上の海外領土を持つ国家である。ラックマンは、1975年からＧ７（当初はG5）が主導してきた過去約半世紀の世界を振り返り、その中にアジアの国家は日本しか入ってなかったことに比べて、現在の西洋から東洋のパワーシフトは顕著だと指摘する。

さらにラックマンは、たとえ今後の中国やインドの経済成長が順調な道筋を辿らないとしても、すでにこの二国の経済規模では大国となっているため、地政学的な重心が東洋に移り、それが不可逆的なものであることを述べている。実際、世界の覇権国の米国自身が、第一次世界大戦から冷戦を経て現在までに、最も重視してきた大西洋を挟む欧州との同盟（現在ではNATO、北大西洋条約機構）から、太平洋との同盟国に軸足を転換しつつある。この試みは、第一次オバマ政権で、ヒラリー・クリントン国務長官とカート・キャンベル国務次官補（東アジア太平洋担当）が試みたアジアへのピボット政策（後に欧州の懸念に配慮してアジアリバランス政策と呼ばれることになる）が先駆といえるだろう。実に、ラックマンは、著書で「ピボット」に一章を割き、ピボットの中心人物であるクリントン、キャンベル、そして当時の国家安全保障担当大統領補佐官のトニー・ドニロンの考え方に着目している。

第一次オバマ政権のピボットは、第二次オバマ政権で、中国とのＧ２協力への幻想を捨てきれないスーザン・ライス国家安全保障担当補佐官と欧州重視のケリー国務長官の就任と、シリアをはじめとする中東での問題の拡大、そして欧州の懸念の増大などにより、未完の仕事となる。しかし、トランプ政権成立後、トランプ大統領が欧州の同盟国を軽視し、中国と貿易上のディールを成し遂げることを、自らの政治的な得点にしたいという思惑と、日本の安倍首相との個人的な関係を重視したことで、結果的に対中強硬と欧州軽視の政策を進めることになった。欧州にとって衝撃的だったことは2020年にトランプ政権が在独米軍の削減を発表したことだろう。

トランプの同盟国軽視を批判したバイデン政権は、傷ついた米欧関係を修復するという公約により政権に就き、実際に欧州との関係修復を進めたが、一方でインド太平洋重視の政策は継続した。興味深いことに、欧州自身がインド太平洋への関与を始めたのである。2016年にラックマンが予想したように、イースタニゼーションは、すでに経済だけではなく、地政学の面でも進行していたが、その決定打となったのが、トランプ政権とバイデン政権の二つの政権で進行した「自由で開かれたインド・太平洋」という戦略構想と対中対抗・競争姿勢といっていいだろう。

地政学的なイースタニゼーションを実証する数字が、5月23日付の日本経済新聞の記事「チャートは語る 軍事の重心 西から東へ」に示されている。米軍の国外の兵員配置が、過去20年間で、欧州・中東からアジアにシフトしており、世界の軍事装備の中では、中国の軍備拡張が顕著で、近隣諸国がこれに対抗していることもあり、アジア太平洋の比重が、他地域よりも高まっている。米軍の在外兵力配置における東アジア・太平洋への配置は、2000年には39.7％だったが、2020年には48.9％に増加した。また、第4世代以降の戦闘機の数の伸びを、1990年と2020年で比較すると、米国は2155機から1784機に、ロシア（1990年の時点ではソ連）は630機から624機に減少しているが、中国はゼロから941機に増加する圧倒的な伸びをみせ、台湾もゼロから325機、日本は135機から304機に、韓国は48機から279機に増加している 6。

今後のインド太平洋の秩序の方向性

米国の保守系シンクタンクAEI（アメリカンエンタープライズ研究所）のザック・クーパーも、世界の重心が西から東に移っていることを指摘し、ラックマンのイースタニゼーションの議論を参照している。一方でクーパーは、今後のインド太平洋の秩序がどのようになるかは不確定要素が大きいと指摘し、今後の地域の方向性の複数の道筋について類型化して検討している。 7

第１類型は「米国主導の秩序」で、これまでの秩序の延長上で、米国が同盟国とともに地域のルールと規範を発展させ、米軍が、制約なく地域での行動の自由が担保されるというものだ。第2類型は「中国主導の新秩序」で、これまでの米国の役割に代わり、中国が地域への政治、経済、技術、軍事、文化的な影響力を高め、指導的な地位となる。

第3類型は「米中二極体制」で、米中が拮抗して競争し、地域の国家は米中のどちらかのポジションを取ることを選ばざるを得ないような世界だ。第4類型は「多極化体制」で、3～4の国家が、地域の力と影響力を巡って競争をしていく世界だ。想定されるプレイヤーは、米中に加えて、インド、日本、インドネシアなどで、このような場合は、多くのプレイヤーは、同盟に加わらない姿勢を保つと想定される。 8

そして、この4類型のどこに落ち着くかを決める主たる要因として、(a)中国の経済、軍事、影響力の拡大が継続するのか、(b)米国が地域への関与を継続するのか、(c)地域の主要プレイヤーがどこまで米国あるは中国からの自立を追及するのか、の3つの問いを設定している。クーパーの暫定的な仮説は、問(a)の中国の影響力の拡大は継続するため、第一類型（米国主導の秩序の継続）の可能性は小さく、問（b）の米国が地域への関与は継続するため、第二類型（中国主導の新秩序）の可能性も少ない。もし、問（c）の地域の主要プレイヤーは、米国あるいは中国からの自立を望まないのであれば、米国と中国のブロックに分かれた二極体制となるが、実際には、多くのプレイヤー、特にインド、日本、インドネシアや他のプレイヤーは、多極化を望んでいるわけではないが、中国の攻撃的な行動は容認できないし、米国の将来の姿も予測できないため、多極化となればそれに心地よさを感じるのではないかと、クーパーは指摘する。米国にとっても、多極化が望ましいわけではないが、地域の主要なプレイヤーが民主主義国家であり、米国との利益を共有しているので、多極化となれば、米国の利益も大きいと考えられる。 9

クーパーの議論は、あくまでも将来予想のための「頭の体操」だが、このように頭を整理していくと、今後のインド太平洋の秩序の在り方については複数の可能性はあるが、これまでの秩序に近い第一類型の米国主導の秩序に落ち着くにせよ、他に落ち着くにせよ、その過程において、米中の対抗・競争関係は避けられず、地域の地政学的な緊張は長期化することが予想される。ラックマンが指摘するように世界の富が集積し、日本経済新聞が指摘するように軍事力の伸びが大きいインド・太平洋地域の中での秩序をめぐる地政学が、今後の世界の秩序の在り方を決めていくことになると考えるのが自然だろう。

バイデン政権の対中対抗・競争政策は、単に中国に対抗する軍事力や経済力を積み上げて、自国の利益を確保しようとしているだけではなく、今後の世界秩序の指針ともいうべき、「共通のルールに基づく秩序」（rules-based order）について、中国との競争をスタートさせている。これこそが、米国が中国との対抗のためにインド太平洋地域に関与を強め、欧州諸国もインド太平洋に関与しようとしている理由ではないだろうか。

バイデン政権の戦略観

バイデン政権のNSC（国家安全保障会議）のインド太平洋調整官のカート・キャンベルの戦略観は、過去の米政権の戦略の反省を踏まえた今後の米国の方向性を示唆している。前述のラックマンは、キャンベルがオバマ政権時代に主導した「ピボット」政策について、当時のオバマ政権において、イラクとアフガニスタンへの軍事関与に足をとられた米国が、アジア回帰行うことは容易ではなかったことを指摘し、「キャンベルは、米国が中東（とアフガニスタン）での戦争に10年も手を焼いているうちに米国の外交政策が危険なくらいに焦点が外れてしまったと、激しく思いこんだ」と指摘している。 10またラックマンは、オバマ政権では、中国とのG２関係構築により世界のガバナンスの米中協力を指向する考えと、キャンベルのように地域の伝統的な同盟国との協力を指向する二つの異なる勢力で割れたことも指摘している。 11

ただし、キャンベルが描くインド太平洋へのシフトは、かつての米国の圧倒的な軍事と経済の影響力の回復を前提としたり、米国に中東や欧州からの離脱を求めるような非現実的なものではない。キャンベルは自著「ピボット」において、米国の中東への関与の継続は、むしろ中東にエネルギーを依存しているアジア諸国との相乗効果があると指摘する 12。また米国のピボットは、欧州からアジアへのピボットではなく、欧州とともにアジアにピボットすることだとも指摘する。 13

バイデン政権のNSCでキャンベルの下で中国担当上級部長を務めるラッシュ・ドーシとキャンベルのフォーリンアフェアーズ誌掲載の共同論文では、前出のクーパーが指摘するインド太平洋の秩序の「多極化」において米国優位を指向するような発想で書かれている。彼らが提言するアジア秩序のモデルは、米中二国間の協調（G2）でも、米国覇権の回復でもなく、1815年から1914年の第一次世界大戦までの長い平和を維持した大国の勢力均衡（バランス・オブ・パワー）による「ウィーン体制」である。その目標とアプローチは、１）勢力均衡を維持し、２）地域国家が正統性を認める秩序を構築し、３）この二つを脅かす中国に対処するために同盟国をまとめていく、というものである。 14

バイデン政権のこれまでの政策に即して考えれば、１）の「勢力均衡」は、2プラス2（外交・防衛閣僚級会談）や首脳会談による日本や韓国との同盟強化、そしてクアッド（日米豪印）首脳会談や米印国防相級会談によるインドやオーストラリアとの関係強化だ。政権の次なる課題は、２）の地域国家が正統性を認める秩序を構築することである。日米同盟強化、クアッド強化（初のクアッド外相会合とその定例化はトランプ政権下で行われた）など、かなりの部分はトランプ前政権の延長線上により行われていたが、トランプ大統領の行動は、むしろ、地域の秩序構築には背を向けたものだったこともあり、バイデン政権には独自色を出すことができる格好の目標となる。

現在、インド、ASEAN諸国、太平洋島嶼国、韓国、オーストラリアなどのインド太平洋諸国は、中国の経済や軍事力による大きな影響を受けながらも、中国が期待するような対中従属関係は望んでいない。しかしキャンベルらは、米国が秩序構築に正統性を与えることに失敗すれば、地域は中国の影響下に組み込まれ、外部パワーが締め出されて、小国は自由を失ってしまうリスクが増すと指摘する。

おそらく、この「正統性のある秩序構築」についても、中国、日本、インドなどの、インド太平洋地域に大きな経済利益を持ち、また世界の「正統性のある地域秩序構築」の行方に利害を持つ、欧州諸国が大きな関心を持つのは当然といえる。インド太平洋での既存の秩序崩壊は、欧州と世界にも影響を与えるからだ。かつては、米欧による秩序が世界に影響を与えた。しかし、インド太平洋地域での秩序構築に欧州の指導者が関心を持たざるを得ないことが、イースタニゼーションというトレンドを示唆している。

米国のアジア太平洋関与の歴史が示唆するもの

最後にクーパーの「頭の体操」の中で指摘された重要な問い(b)「米国が地域への関与を継続するのか」いう点を検討する。これこそが、今後の世界のイースタニゼーションの流れを規定する最重要のファクターである。米国の歴史を振り返ると、大西洋を挟み欧州との緊密な関係を持つ一方、太平洋を挟みアジアと関係を持つという二つのオーシャンをまたにかけて発展し、世界に関与してきた長い歴史を持つ。歴史的には、大西洋への関与が太平洋に優先されてきたが、太平洋への関与から引いたことは一度もない。

歴史家のウォルター・ラッセル・ミードは、2021年3月、クアッド（日米豪印）首脳会談の後に書いたコラムで、米国が今後、インド太平洋地域にどのように関与するのかどうかを見極めることが、近隣諸国への影響力を強めようとする中国の決意を受け入れるか、あるいは抵抗するかを悩んでいる国々にとって死活問題であると指摘する。その有用な案内人となり得るとして、マイケル・グリーンCSIS上級副所長の2017年の著書「By More Than Providence」を挙げる。 15

ミードによれば、グリーンは太平洋地域への米国の関心とプレゼンスは、米国建国当初からその外交政策の中で一定の力を持ち、常に大きくなり続けていると主張していると述べている。

米国の歴史的な太平洋地域への関心は、商業、安全保障、価値観に基づくものであり、 1803年のルイジアナ購入で西海岸を手に入れた瞬間から、安全保障の問題が、米国の太平洋外交を形作るようになり、ハワイ併合など19世紀中盤までに米国の安全のために、アジアにおける好ましい勢力バランスが必要だという考え方が、ワシントンの政策立案者の間で広く受け入れられた。そして、現在の中国の台頭のはるか前から、米国は歴史上、英国、日本およびソ連に対抗するための同盟関係を太平洋地域で構築していた。

ミードは、「同盟国が時として米国の英知を疑うことがあったとしても、この地域に対する米国の関与は、歴史および米国の利益構造に極めて深く根付いているため、この地域から立ち去ることは、米政府にとって最も可能性の低い行動である」と結論づけている。 16

グリーン自身は、著書の結論の章で、米国の対外関与の歴史をみると、第二次世界大戦時には欧州戦線ファースト、太平洋戦線は二番という措置を取ったが、結局は米国内の大量の戦時生産の拡大により解決されたが、現在の厳しい予算制約下の米国でそのような政策をとるような余裕はないと指摘する。そして今ではアジアが世界の秩序に影響を与える状況になったことを指摘して、太平洋ファーストを示唆している。 17

これまでの米国の歴史を通じて、アジア太平洋の安定は、米国の安全と繁栄のために不可欠であり関与を継続してきており、その延長として米国においても、今やインド太平洋の優先順位が上がった。インド太平洋の将来の姿は、米国の関与の度合いによっても大きく左右されるが、長い歴史を振り返れば、もはや欧州や中東にも影響するインド太平洋に米国が関与をためらう、ということは米国全体が引きこもるような状況にならない限り、想像できない。

現在のイースタニゼーションは、インド太平洋だけで起こっている現象ではなく、米国、欧州、中東の相互作用に規定されたものであり、米国の関与もその進行も、不可逆的なものだというのが、グリーンが示唆することであり、本稿全体の結論ともなる。

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