提言・論考
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バルト地域の安全保障：変貌を遂げつつある「NATOのアキレス腱」

保坂三四郎

はじめに

ロシアがウクライナに全面侵攻を開始した2022年2月24日、NATO加盟国のエストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド（以下「バルト地域（諸国）」と呼ぶ）は、安全保障上の懸念に関する同盟国との協議を定める北大西洋条約第４条を発動した。また、4月には4か国の大統領は揃ってキーウを訪問し、ゼレンスキー大統領に対しバルト地域全体の連帯を伝えるとともに、国際社会に対しウクライナ支援を呼びかけた。ウクライナからの難民受入れ数（対人口比2～5%）や対ウクライナ支援額（対GDP比で0.5～1.0%）で、バルト地域諸国は他の西側諸国を大きく引き離す。

ウクライナ支援の急先鋒であるバルト地域諸国に共通するのは、伝統的なロシアに対する脅威認識だけでなく、これらの国がNATOの北東方面として有事の際にひとつの戦域（a theatre of war）となるということである。NATOは全体の通常戦力でロシアを凌駕するが、ロシア及びベラルーシ、ロシアの飛び地カリニングラードと長い国境を接するバルト地域を見た場合、ロシアが局地的且つ一時的に優勢を確保できる可能性が懸念されてきた。ロシアは、バルト地域を念頭に核の要素も含む大規模な軍事演習「ザーパド」を実施してきており、2016年に米国シンクタンクが試行したシミュレーションではロシア軍はエストニア及びラトビアの首都近郊に60時間以内に到達できるという結果が出ている。 1このような背景から、多様な脅威認識を持つNATO加盟国の中で、バルト地域諸国は、2010年のNATO「戦略概念」が定める集団防衛、危機管理、協調的安全保障のうち、集団防衛・抑止をとくに重視してきた。 2とはいえ、2014年のロシアによる違法なクリミア併合後でも、専門家の間のコンセンサスは、バルト地域へのより現実的な脅威は、サイバー攻撃やロシア系住民に対する偽情報などの社会の不安定化であり、領土奪取のための侵攻は完全には排除できないが、蓋然性は低いというものであった。 3

この認識を根本的に変えたのが、2022年のロシアのウクライナ全面侵攻であった。本稿では、バルト地域に歴史的に形成された脅威認識、1991年の独立回復以降の安全保障の模索、クリミア併合後のNATO及び米国の同地域への関与、ウクライナ全面侵攻がバルト地域の安全保障に与えた教訓について解説する。

歴史的脅威認識

バルト地域の安全保障の脅威認識には、現在まで続く国家及び個人の記憶が大きな影響を与えている。1939年、独ソは不可侵条約に附属する秘密議定書で東欧分割について合意し、ポーランドに侵攻して分割した。翌年、ソ連はバルト三国に最後通牒を突きつけ、軍事的占領の後、偽「選挙」で設置した「人民議会」にソ連加入を「要請」させ、これを違法に併合した。 4ソ連は併合したポーランド東部（今日のウクライナ・ベラルーシの西部）でポーランド将校等2万人以上を処刑し（「カティンの森」事件）、バルト三国では戦間期人口6百万人のうち百万人が強制移住等の弾圧の対象となったといわれる。また、ソ連は占領地の国民をシベリアに強制移住させる一方、ソ連人（主にロシア系）の入植を進め、特にエストニアとラトビアの民族構成を大きく変化させた（ソ連崩壊前、エストニアのエストニア人は人口の6割、ラトビアのラトビア人は5割まで減少していた）。 5

独ソ密約の締結から50年後の1989年夏、バルト三国の約200万人が首都タリン、リガ、ヴィリニュスを結ぶ人間の鎖「バルトの道」のデモを行い、同年末、ソ連人民代議員大会は独ソ密約の違法性を認めた。しかし、これはバルト三国併合の違法性と同義ではない。ソ連崩壊後のロシアは、バルト三国が「自主的に」ソ連に加盟したとのレトリックを繰り返した。 6 1994年、独ハンブルグで開催された夕食会のスピーチで、レンナルト・メリ・エストニア大統領は、ソ連崩壊後のロシアの民主化プロセス停滞を指摘し、西側諸国の「勝利」ムードに警鐘を鳴らした。ロシア外交当局は、旧ソ連諸国の在外ロシア人問題を外交だけでは解決できないとしてロシア軍の引き続きの駐留を求めており、メリはこれをロシアの「ネオ帝国主義」と呼んで批判した 7（このスピーチに怒って席を立ったのが、当時サンクトペテルブルグ副市長として夕食会に招待されていたウラジーミル・プーチンだったと言われる）。 8同年、欧米の圧力を受けてロシア軍はようやくバルト三国から撤退した。

独立回復以降の安全保障の模索

ワルシャワ条約機構及びソ連の終焉により、独立を回復したバルト地域諸国は、半世紀に亘る支配・占領の経験を繰り返さないこと、独立を担保するためには何よりも信頼のおける同盟国が必要であるとの認識を共有し、ポーランドは1999年、バルト三国は2004年にNATO加盟を果たした。NATOへの貢献としてバルト地域諸国は、アフガニスタン等のNATO域外ミッションに積極的に参加した。この時期、ラトビアやリトアニアは、NATOの集団防衛への信頼と対露脅威の相対的低下（NATO域外の危機対応や平和維持を重視）から徴兵制を廃止したのに対し、エストニアは徴兵制や領土防衛隊を含む国防体制を維持し、安全保障に関する方向性に違いが出た。 9

バルト地域諸国の対露脅威認識を再び引き上げたのは、2007年にエストニアの首都タリンでロシアが扇動した暴動と政府や金融機関に対する大規模なサイバー攻撃、 10 2008年のロシア・ジョージア戦争であった。しかし、同戦争で一旦停止されたNATOロシア理事会は翌年には再開し、米露関係も「リセット」された。 11 また、ラトビアのように、国防関係者の間で北大西洋条約第3条にいう「個別」の能力強化の必要性への認識が高まっても、人口の4割に達するロシア語話者の世論（ロシア・ジョージア戦争でロシアを支持する傾向）や世界金融危機後の緊縮財政を背景に、国全体で共有はされなかった。 12

他方、バルト地域諸国が、ロシアに対して一貫して「強硬」であったと考えるのは誤りである。ソ連崩壊後、欧州のリベラルの間では、経済・エネルギー分野の協力やさまざまなチャンネルの対話や人的交流がロシアに協調的行動を促す、という相互依存論（interdependence）的考えが主流となった。巨大な隣国ロシアと友好関係を維持しなければならないバルト地域諸国にもこうした考え方が一定程度浸透した。 13EUは、欧州近隣諸国パートナーシップ政策手段（ENPI）を通じて、バルト地域とロシアの間で経済社会発展、環境、公衆、安全の分野でさまざまな「国境をまたぐ協力（CBC）」プログラムを実施した（CBCのエストニア・ラトビア・ロシア計画、リトアニア・ポーランド・ロシア計画）。EUは、ロシアのクリミア併合以降も、バルト地域とロシアとの協力計画（2014～20年）を停止せず、EU・ロシア間の政治的緊張下でも、CBCがコミュニティ間のチャンネルとして「将来のより深化した地域協力の基礎」になると望みを託した。 14 しかし、ロシアはウクライナ全面侵攻を開始し、ロシア全土で8割以上の国民がプーチンを支持した。最期まで相互依存や人的交流を重視したEUの対ロシア関与政策に終止符が打たれた瞬間であった。2022年3月、欧州委員会はロシア及びベラルーシとの全てのCBCプログラムを停止した。 15

ロシアのクリミア併合への対応

2009年の「ザーパド」演習でロシアは、核の脅しを利用したポーランド侵攻をシミュレーションしたといわれる。2010年、バルト地域諸国の粘り強い働きかけにより、NATOはようやくポーランドとバルト三国の防衛計画「イーグル・ガーディアン」を策定した。一方、米軍は欧州駐留軍を大幅に削減し、2013年のバルト地域を対象とした演習「不動のジャズ」では米兵は160名の参加に留まった。2004年のNATO加盟から2014年までの10年間で、バルト三国へのNATOの継続的プレゼンスは、リトアニアのシャウレイ基地から展開する平時のバルト空域警戒ミッション（Baltic Air Policing）のみであった。 16

2014年のロシアによるクリミア併合及びウクライナ東部侵攻は、バルト地域防衛に対するNATOの結束と信頼のテストとなった。NATOは、同年のウェールズ首脳会合で「即応性行動計画（RAP）」を採択し、NATO即応部隊を3倍の4万人規模まで増強すること、2～3日以内に展開できる「高度即応統合任務部隊（VJTF）」（5千人）の設置に合意した。また、バルト空域警戒ミッションが強化され（エストニアのアマリ基地が追加）、シュチェチン（ポーランド）にある北東多国籍軍団司令部（MNC NE）の拡充、増援部隊を受け入れるインフラや事前備蓄の強化も決定された。バルト地域諸国の個別の防衛能力については、ポーランド及びエストニアは2014年頃までに防衛費GDP比2％をほぼ達成していたが、リトアニアとラトビアも2018年までに達成した。また、2015年にリトアニアは徴兵制を復活させた。 17

2016年7月のワルシャワ首脳会合では、「強化された前方プレゼンス（eFP）」が発表され、翌年にはポーランド、リトアニア、ラトビア、エストニアに対し、それぞれ米国、ドイツ、カナダ、英国を「枠組み国」とする大隊規模（1200名前後）の多国籍戦闘群がローテンション展開した。さらに、2018年7月のブリュッセル首脳会合では、機械化大隊30個、飛行中隊30個、戦闘艦30隻を30日以内に展開する態勢を整えることが合意された。

eFPの多国籍戦闘群が、「継続的なローテンション」とされた背景には、1997年の「NATO・ロシア基本文書（NRFA）」に「大規模な部隊を追加で常駐」させないという項目があり、他のNATO同盟国がロシアを刺激することを恐れたためであった。 18一方、バルト地域側は、NRFAは1990年代当時の安全保障環境におけるNATO側の一方的な措置であり、2014年のクリミア併合でロシアが国際秩序に挑戦した以上、NATOはNRFAに縛られるべきではないと主張してきた。 19

また、ロシアによるクリミア併合直後、必ずしもバルト地域諸国のニーズを満たさなかったNATOの措置を迅速且つ強力に補完したのが米国独自の関与である。2014年6月、米国オバマ政権は「欧州安心供与イニシアティブ（ERI）」を発表した。のちに、「欧州抑止イニシアティブ（EDI）」に名称を変更したこのプログラムは欧州における米軍プレゼンスの増強、演習・訓練の強化、装備の事前備蓄、インフラ整備を通じた即応性を強化した。米国がNATOとは別に独自で行う関与の規模は、2019年の米国のNATO関連eFP多国籍戦闘群（ポーランド）支援予算224百万ドルが、米国のEDI全体予算65億ドルのわずか3.5%に過ぎないことに表れている。 20EDIは、欧州防衛へのコミットメントに揺らぎがあるのでないかと心配されたトランプ政権にも継承され、ポーランドの米軍部隊増強やバルト三国との防衛協力ロードマップなど、バルト地域への関与はむしろ拡大した。 21

表１ バルト地域諸国の主要な指標 22
ポーランド リトアニア ラトビア エストニア ロシア（参考） ウクライナ（参考）
面積(千km2) 312 65 64 45 17098 603
人口(万人) 3774 280 188 133 14344 4379
軍(千人) 122.5 17.2 7.5 6.9 1454 311
GDP(億ドル) 6794 664 398 371 17787 2000
国防費対GDP 2.42% 2.36% 2.10% 2.34% 4.1% 3.23%
EU加盟 2004年5月 2004年5月 2004年5月 2004年5月 - -
NATO加盟 1999年3月 2004年3月 2004年3月 2004年3月 - -
COE等 カウンターインテリジェンCOE、軍事警察COE エネルギー安全保障COE 戦略コミュニケーション COE。 協調サイバー防衛COE、バルト防衛大学。 - -

「強化された前方プレゼンス」

バルト地域の「強化された前方プレゼンス（eFP）」は「枠組み国概念（FNC）」に基づく多国籍部隊である。これは、比較的広範囲なアセットと能力を持つ大国（枠組み国）に、それを特定の機能面で補完する複数の中小規模国（貢献国）を加えたクラスターを作り、共同防衛の任務を負わせるというものである。 23 2016年のNATOワルシャワ・サミットでは、バルト地域各国に展開する戦闘群を担当する枠組み国が合意され、2022年10月現在、枠組み国と貢献国は以下のとおり構成されている。 24 2022年にエストニアの貢献国となっているフランスは、1年おきにエストニアとリトアニアに交替で駐留しており、NATOの核兵器国（米英仏）、欧州の主要国（英独仏）が関与する形となっている。 25

表２ eFP多国籍戦闘群のホスト国、枠組み国及び貢献国（2022年10月）
ホスト国 枠組み国 貢献国
ポーランド 米国 クロアチア、ルーマニア、英国
リトアニア ドイツ ベルギー、チェコ、ルクセンブルク、オランダ、ノルウェー、（フランス）
ラトビア カナダ アルバニア、チェコ、イタリア、モンテネグロ、北マケドニア、ポーランド、スロバキア、スロベニア、スペイン
エストニア 英国 デンマーク、フランス、アイスランド

例えば、エストニアの枠組み国は、英国であるが、これはエストニア独立戦争（1918～20年）における英国海軍のエストニア支援、NATOのアフガニスタン・ミッションなどで伝統的に両国の協力関係が深いことが背景にある。英国が率いる多国籍戦闘群は、エストニア軍第一歩兵旅団（タパ）に統合され、近年は志願制のエストニアのディフェンス・リーグ（2.6万人）の領土防衛隊とも演習を行うようになっている。 26 ホスト国側は、演習場、保管庫等のインフラ整備、域内で多国籍戦闘群や増援部隊が動きやすいようにロジスティクスの改善や国内法の改正を進める。 27

ホスト国と枠組み国の関係の重要性は、これを分断しようとするロシアの偽情報にも反映されている。2017年にラトビアの枠組み国となったカナダに対しては、ラトビアのロシア人問題を取り上げ、ラトビアは多文化主義のカナダの支援に値しないというナラティブがカナダのメディアに拡散された。リトアニアやエストニアに駐留するドイツ兵や英国兵についてもレイプや買春など、さまざまなフェイクニュースが流されている。 28エストニアの場合、人口の26%を占めるロシア語話者の約半数がNATOの部隊駐留に否定的であるという調査結果（2019年）もあるため（一方、エストニア語話者の90%はNATO駐留を支持）、英国主導の多国籍戦闘群はロシア語話者に狙いを定めた慈善イベントなどの戦略コミュニケーションを展開する。 29

なお、バルト地域のなかでもポーランドは、比較的規模の大きい地上軍と機械化旅団、中距離防空システムを有すことに加え、米軍のプレゼンスという点で際立っている。2016年にオバマ政権は、ポーランドのeFP枠組み国として多国籍戦闘群に米兵900名の派遣を決めたが（同部隊はカリニングラードから65㎞、スワルキ・ギャップから135㎞の同国北東部オジシュ近郊の基地に配置）、それ以前から米国独自のEDIでポーランドには米兵が駐留していた（2019年時点で4500名程度）。 30オバマ政権がポーランドを選んだ背景にはバルト三国への駐留よりもロシアを刺激しないとの考慮があったのではないかとも言われるが、 31軍事的視点からは、比較的国土の大きいポーランドの懐の深さを利用して、相対的に安全な同国西部に増援部隊を配置できるメリットが指摘されている。 32

2014年4月以降、バルト三国各国に駐留していた150名強の米国の空挺中隊は、2017年のNATOのeFP多国籍戦闘群の配置に伴い撤退した。バルト三国は英国、カナダ、ドイツに率いられた多国籍戦闘群を歓迎しているが、本音では米軍の継続的プレゼンスがロシアに対する最大の抑止となると考えている。米軍はバルト三国における米特殊部隊の訓練等を継続しつつ、ポーランドも同国に集中する米軍は後述するスワルキ・ギャップを始めとしたバルト地域全体の防衛のためであるとして域内各国と意思疎通を図っている。 33

受け入れがたい一時占領のコスト、「前方ディフェンス」へ

比較的小規模のeFPの多国籍戦闘群は、共同防衛への決意を示しても、それ単体で敵軍の侵攻は阻止できない「トリップワイヤー」部隊とも呼ばれてきた。これはNATOの表現ではなく、多国籍戦闘群は侵攻を相当程度遅延できると見る専門家もいる。いずれにせよ、バルト地域の防衛の成否は、侵攻後に大規模な後続部隊が迅速に派遣され、事前備蓄された武器や弾薬を利用してすぐに戦闘態勢に入れるかにかかっている。

しかし、ロシアに一時的に占領された後に解放されたブチャやイジュームの民間人虐殺が示すとおり、バルト三国のような最前線の国家にとっては、一時的にでも占領されれば、その後に十分な数の援軍が到着して解放され、領土と主権を回復したとしても、到底受け入れることのできない甚大なコストを払うこととなる。 34さらに、紛争を終結させるのは外交交渉だとしても、そのタイミングやアウトカムには戦局が決定的に重要な役割を果たすことをロシアの全面侵攻とウクライナの抵抗が改めて示した。 35

2022年6月のNATOマドリード首脳会合ではバルト地域の多国籍戦闘群を必要に応じて大隊から旅団に拡大することが合意された（それより前、3月の緊急首脳会合ではNATOの多国籍戦闘群を黒海地域のブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、スロバキアに展開されることが決定された）。さらに、武器や砲弾の事前備蓄、防空・ミサイル防衛システムを含む前方展開の一層の拡充、指揮統制の強化の他、eFPの多国籍戦闘群に続く後続部隊が迅速に展開できるように特定の同盟国への部隊事前割当も発表された。 36バルト地域は、従来の「前方プレゼンス」ではなく、「前方防衛態勢」（forward defence posture）を求めている。 37

防衛の課題

陸路の増援経路―スワルキ・ギャップ

NATOにとってのバルト地域防衛の最大の課題は、ロシアとの近接性と同時に、戦略縦深（strategic depth）がほとんどないことである。緩衝地帯を志向するロシアの地政的認識からすれば、NATOの「東方拡大」によって、ロシアが戦略縦深を千キロ以上後退させたという見方がある。 38しかし、これはむしろ逆であり、バルト海沿岸のエストニア及びラトビアの首都はロシア国境から200～250kmしか離れていない。いざ侵攻が始まれば、広大な国土を有するロシアとは対照的に、バルト三国に「後方」はない。また、バルト三国は、道路網が比較的整備される一方、防衛線として利用できる河川が少ない。

この地勢を利用して、ロシアは、通常戦力による短期間の戦争を仕掛け、バルト三国の一定の領土を占領した上で、核の脅しによって、これを既成事実化できると考えるかもしれない。この際、バルト海に面すロシアの飛び地カリニングラードとロシアの同盟国ベラルーシを結ぶ、ポーランド・リトアニア国境地帯の約100kmの回廊地帯「スワルキ・ギャップ」がロシアによって制圧されれば、バルト三国は孤立し、ポーランド方面からの増援が届かなくなる。カリニングラードに司令部が置かれるバルト艦隊は海上交通路を封鎖し、バルト三国への海上支援も困難にする。2015年、ベン・ホッジズ駐欧州陸軍司令官も、スワルキ・ギャップの脆弱性について懸念を表明した。 39 2017年には米英が参加して計1500人規模の同地防衛演習が行われたが、ロシアの演習「ザーパド2017」（公式発表は1万2700人）には10万人が参加したと見られている。 40

ロシアは、占領したバルト諸国を速やかに自国領土に「併合」、ロシアの「核の傘」の下に入れたと主張し、NATOの反攻を「ロシア領への侵攻」として核使用をちらつかせるだろう。また、NATOによるタリンやリガなどの大都市の解放作戦は膨大な人的損害及びそれ相応の時間を要することになるため、ロシアはNATO加盟国の中でエスカレーション回避、「政治的解決」を志向する勢力を引き離しにかかる。 41これと似た核恫喝のシナリオは、2022年のロシアによるウクライナのドネツク州、ルハンスク州、ザポリッジャ州、ヘルソン州の「併合」の際に現実となった。

A2/AD「バブル」と防空システム

NATOのバルト地域防衛は、いかに迅速に後続の大規模増援部隊を展開できるかにかかっている。この点、陸路が脆弱なスワルキ・ギャップに限られるだけでなく、バルト三国への空路・海路によるNATOの増援は、ロシア西部軍管区の航空戦力及びA2/AD「バブル」に脆弱であると指摘されてきた。このため有事には、ロシアのA２/AD能力の相殺のため、NATOの空軍力、長距離ミサイル及び電子線兵器による支援が必要だと考えられている。 42

バルト三国は、空域監視システム（BALTNET）はあっても、戦闘機や防空システムを保有していなかった（枢要なアセットを守る短距離システムのみ）。また、NATOのバルト空域警戒ミッションは、平時の領空侵犯等への対処を目的としているが、防空任務はない。このため米国がEDIの一環としてバルト地域の飛行場に戦闘機を訓練配備してきたが、防空能力の強化はバルト三国の防衛に最も必要とされる要素であり、2018年の米・バルト三国首脳会談後に発出された共同声明の軍事面の協力で唯一言及された。 43

2020年にリトアニア軍が中距離対空ミサイル（NASAMS）を調達したのに続き、 44ウクライナ全面侵攻後のNATOマドリード首脳会合でエストニアとラトビアの国防相がNASAMSの共同調達について覚書を交わした。 45また、これらの調達までの間、スペインがNASAMSをラトビアやエストニアに配備する。 46なお、バルト三国の保有するスティンガー等の携帯式地対空ミサイル（MANPADS）はウクライナに送られている。国土全体の防空システムの構築は費用を惜しまねば不可能ではないが、ロシア軍のように巡航ミサイル等が民間施設も標的にする場合、全ての町や重要インフラをカバーするのは不可能に近い。 47

広域バルト

バルト三国は、ノルディック諸国と良好な協力関係を築いてきた。2000年にこれらの国々の首相・閣僚級の地域枠組み「ノルディック・バルト8か国（NB8）」が設置された他、バルト三国の独立回復後、デンマークはバルト大隊(BALTBAT)、スウェーデンはバルト防衛大学校（BALTDEFCOL）、ノルウェーはBALTNETの創設を支援した。 48

しかし、ノルディック諸国のなかでもバルト地域にとって最も重要な潜在的パートナーは、NATO非加盟のスウェーデンとフィンランドであった。これは、戦略縦深がなく、増援経路も限られるバルト三国にとって、有事の際のスウェーデンやフィンランドを含む「広域バルト」が極めて重要となるからである。これまでスウェーデンやフィンランドは、NATO加盟国のノルウェーやデンマークと共同演習を実施したり、2017年にはEUの常設軍事協力枠組み（PESCO）にも加盟したが、NATO非加盟であるためバルト地域諸国が軍事協力を深化させるには一定の限界があった。2022年以降、両国のNATO加盟が現実的となり、これらの地域を含むノルディック・バルト地域は安全保障の共通空間となることが期待されている。具体的には、スウェーデンやフィンランドの防空システムや第4・５世代の戦闘機、バルト海及び北極圏における情報収集・警戒監視・偵察能力（ISR）はNATOの貴重なアセットとなる。スウェーデンとフィンランドの加盟によってバルト海は「NATO湖」になるとまで言われる。 49

ウクライナを含む地域枠組みへの関与

2020年6月、ウクライナ、ポーランド、リトアニアの外相が発表した「ルブリン・トライアングル」は、ロシアのウクライナ侵略を非難し、ポーランド及びリトアニアはウクライナへのNATO加盟行動計画付与を支持した。この三か国は、2014年に三国共同旅団（LITPOLUKRBRIG）を設立し、2016年には多国籍部隊の意思決定と命令伝達に関する共同演習が行われていた。 50また、全面侵攻直前の2022年2月17日、英・ポーランド・ウクライナの三か国外相は、政治・安全保障の新たな枠組み「三者連合」を発表した。 51ウクライナには、ウクライナ・トルコ間の２＋２閣僚会合「クアドリガ」（2020年12月）などと併せ、これらバルト地域を含む枠組みが、NATO加盟を実現するまでの同国の安全保障に果たす役割に期待する声もある。 52

終わりに

ロシアのウクライナ全面侵攻以後の安全保障に関するバルト地域の基本的認識は、以下の3点にまとめられる。

第一は、ウクライナの勝利、ロシアの敗北の必要性である。2022年5月、タリンで開催されたレンナルト・メリ会議（バルト地域の外交・安全保障問題に関する年次会議）で、アルティス・パブリクス・ラトビア副首相兼国防相は、独仏による「即時停戦」や「ロシアに屈辱を与えてはならない」という発言を批判し、ロシアが敗北を受け入れない限り交渉につくべきではないと述べた。バルト地域諸国はウクライナに対する全面的支援を継続する。2023年1月には、バルト三国、ポーランド、英国、デンマーク、チェコ、オランダ、スロバキアの代表が「タリン誓約」に署名し、ウクライナを守るだけでなく、ウクライナの領土からロシア軍を駆逐するために「過去に例のない」武器供与を誓った。

第二に、バルト地域は、長期にわたるロシアの「スマートな封じ込め」（カッラス・エストニア首相）を追求し、ロシアを国際的に孤立させる。 53一方で、この問題については、ロシアの戦略的パートナーである中国の立ち位置やグローバルサウスの対応がこれまで以上に重要となってくることが認識されている。

第三に、ロシアに民主化は期待できず、復活すればリベンジに向かうということである。プーチンは、ウクライナ全面侵攻にあたり、制空権を容易に掌握して、数日でキエフを制圧できると見込んだが、これはウクライナ軍の能力、指導部・国民の抵抗を過小評価した「計算違い」であった。バルト地域へのNATO及び米国の一層の関与（「前方防衛態勢」）を求め、ロシアに侵攻の重大なコストを認識させることで「計算違い」をさせないことがその安全保障の要となる。

（国際防衛安全保障センター/エストニア）

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