ウクライナ戦争と東アジアの安全保障

提言・論考

道下徳成

本稿はウクライナ戦争が東アジアの安全保障に与える影響を、朝鮮半島および台湾海峡を中心に評価するものである。具体的には、重要な影響を肯定的なものと否定的なものに分類し、地域共通、朝鮮半島、台湾海峡の３つのカテゴリーについてそれぞれ議論する。

本稿の目的はウクライナ戦争の影響評価について、日本の安全保障コミュニティにおける一定のコンセンサスを形成することを目的としている。このため、肯定的か否定的か評価が難しい要素についても敢えていずれかに明確に分類している。これによって、議論が促進され、議論の参加者が頭の整理を行うことができれば幸いである。なお、議論を活性化するために、否定的な要素を「バッドニュース」として述べ、そののちに肯定的な要素を「グッドニュース」として論じる。

なお、戦略は常に逆説的＝パラドキシカルなものであり、失敗が成功を生み、成功が失敗につながることもしばしばある。従って、本稿での評価は飽くまで2022年5月現在におけるものであり、将来的には評価が変わる可能性は十分あることはご理解頂きたい。

１地域共通

（１）バッドニュース

独裁者の判断力

東アジアの安全保障にとってウクライナ戦争の最大の恐怖のインプリケーションは独裁権力を持つ指導者の個人的な判断が戦争の発生過程で中心的な役割を果たしたことである。この教訓の重要性は朝鮮半島の状況を考えれば明らかである。単純に比較するだけでもプーチンと金正恩にはいくつかの点で共通点がある。第1に、いずれの指導者も国内の対抗勢力を徹底的に弾圧し、ほぼフリーハンドで政策を実施する立場を築いてきた。第2に、いずれの指導者も国際世論を無視して軍事力を行使し、また軍事力による脅迫を政策の手段として使ってきた。最後に、いずれの指導者も大胆な軍事・外交行動をとる一方で、いわゆるレッドラインを超えない範囲で一定の抑制を効かせるバランス感覚を持っていると評価されてきた。また、プーチンや金正恩ほどではないにせよ、習近平も中国国内で独裁化を進め、東シナ海や南シナ海では力による現状変更を進めつつも、本格的な軍事対立は避けてきたという点で類似点が認められる。

しかし、ウクライナ戦争は合理的であると考えられていた指導者が非合理的な決定を下し、また自国と他国にとって悲劇的な行動をとる可能性があることを改めて示した。今後、関係各国は北朝鮮や中国の指導者の思考方式、行動様式、心理状態、そして健康状態を探るために、様々な手段を用いて踏み込んだ検討を行い、その行動を抑制する手段を検討する必要に迫られている。そして、そのために少なくとも3つの問題について研究を行う必要があろう。第1に、独裁的指導者が武力行使に踏み切るきっかけについての研究である。具体的には、すでに戦争の原因研究は広く行われてきているので、その成果に地域研究の知見を加味して、具体的な議論を行う必要がある。また、「NATOの東方拡大がウクライナ戦争を引き起こした」などの説明を受け入れるかどうかは別にしても、NATOの東方拡大によってプーチンがメンツを失ったと考えたのであれば、結果としてそれが戦争発生の一因となっている可能性もあるため、こうした点についても研究を行う必要がある。

第2に、独裁的指導者が失敗を犯した例についての研究である。これについては、プーチン、金正恩、習近平ともにかなりの期間にわたってトップリーダーとしての役割を果たしてきているため、それなりの事例は存在するであろう。例えば、金正恩が明らかに失策を犯した例としては、ハノイ会談への出発前にこれを大々的に宣伝して交渉成功への期待を高めることによって、自ら交渉上不利な立場を作りだしてしまったことが挙げられる。この時、金正恩が交渉慣れしていないことが明らかになった。

第3に、独裁的指導者にメンツを保ちつつ譲歩させる方法についての研究も必要である。今やウクライナ戦争の帰趨がプーチン個人の運命を左右しかねない状況が醸成されつつある。こうしたなかで、どのように彼に和平を受け入れさせるのかは文字通り死活的な問題である。これについても、どのような場合に指導者がメンツを失ったと考えるかはその国の文化や政治環境にも影響を受けるものであるため、これについても学際的な研究が必要となろう。

「ウクライナ・モデル」の成功

ウクライナ戦争で欧米各国は直接軍事介入することなく友好国の防衛目的を達成するというアプローチをとっている。その手段は平時においては武器支援、軍事訓練、サイバーセキュリティ支援などを通じた対象国へのキャパシティ・ビルディング、戦時においては武器支援、情報提供などが中心となる。これに加え、侵略国に対しては経済制裁や外交圧力を加えて継戦能力を減殺する。この「ウクライナ・モデル」とでも呼べるアプローチは関係各国の国益とコミットメントのバランスをとりやすく、その結果として持続性が極めて高い。2022年5月現在でウクライナへの国際的支持が高いレベルで維持されているのはこのためであろう。

しかし、「ウクライナ・モデル」の成功は、今後の米国のインド太平洋地域への安全保障コミットメントを考える上では不安材料にもなりうる。ウクライナと異なり、米国はアジアの同盟国や友好国に直接的に軍事的コミットメントを行っている。しかし、今後、「ウクライナ・モデル」が成功を収めたということになれば、「米国の直接的軍事関与なしの防衛」を慫慂する声が米国内で高まりかねない。同盟国・友好国に一層の防衛努力を促しつつ、米国自身は直接的軍事関与を避けるという方向性はトランプ前大統領の見解とも一致する。トランプ氏の場合、彼自身が安定性に欠けるリーダーであったために、こうした見解は米国内で広く支持を獲得できなかったが、より安定性の高いリーダーが同様の主張をし始めた場合には、かなりの支持を獲得する可能性があり、朝鮮半島や台湾の安全保障への米国のコミットメントを不安定化させる材料になる懸念がある。

（２）グッドニュース

核兵器の脅威に対する認識拡散

ウクライナ戦争でロシアが戦術核使用の可能性を仄かしたことにより、日本を含む世界各国で核使用の可能性や核による脅迫にどのように取り組むべきかを真剣に考える潮流ができた。特に、専門家だけでなく各国の国民を含めた議論がなされるようになってきたことは、今後の東アジアの安全保障にとっても極めて大きいプラス効果をもたらしたといえる。

ウクライナ戦争においてロシアが核使用を仄めかす以前にも、専門家の間では核使用の可能性や核による脅迫の可能性についての真剣な議論が行われていた。今では一般にも広く知られるようになったロシアの「エスカレーション抑止」の考え方や、オバマ政権からバイデン政権にかけて大きく揺れ動いた米国の核態勢のあり方については、専門家の間ではすでに広く議論されていた。一部にはウクライナ戦争によって核兵器が実際に使用される可能性、あるいは脅迫の手段として使用される可能性が高まったとの議論もある。しかし、実際にはそのような可能性はすでに戦争前から認識されていたのであるから、ウクライナ戦争によって核兵器の役割が高まったとはいえず、ウクライナ戦争によって核兵器の役割が高まっていたことが確認されたというべきであろう。つまり、ウクライナ戦争前から核兵器の役割は高まっていたにもかかわらず、必ずしもその事実は広く認識されていなかったが、ウクライナ戦争によってその事実が広く認識され、共有されるようになったといえるのである。

こうして、核使用や核戦略、そして核抑止や拡大抑止の問題は一部の専門家だけでなく、広く一般国民の間でも議論されるようになった。核兵器はその破壊力ゆえに容易に使用することのできない兵器であり、従って危機時や戦時における核兵器は専ら心理的作用を通じて機能する傾向がある。特に近年ではソーシャルメディア等の発達によって国家エリートが情報を独占できなくなっており、危機時や戦時における核による脅迫の心理的効果は新しいメディアによって増幅されると考えられる。このため、脅迫手段としての核兵器の役割やその限界を国家エリートや専門家だけでなく、一般国民も理解している状態を作ることが危機時や戦時に核恫喝の効果を減殺する上で不可欠となる。例えば、核による恫喝を受けた国の一般国民が、「核兵器を実際に使用するのは敷居が高いから、これは米国の軍事介入を抑止するための脅しである可能性が高い」「北朝鮮が日本に核兵器を使用した場合は米国が何らかの形で北朝鮮に対して核で報復する可能性があるため、北朝鮮は脅しの手段としては核を用いるが、実際に日本に対して核を使用する可能性は高くない」などの判断を行うことができれば、脅しの手段としての核の有用性を大きく減殺することができる。

なお、現時点でウクライナと東アジアを比較して、どちらの方がより核兵器の有用性が高いかは明確に判断することは難しい。東アジアにおける核の有用性を高める要素としては、①核兵器は付随被害の少ない海上の方が使用しやすいが、北朝鮮や中国は地上配備の戦力が中心なのに対し、米国の戦力の多くは海上に配備されているため攻撃されやすい、②北朝鮮や中国は中距離核を保有しているが、米国は保有していない、③北朝鮮は通常戦力で米韓に劣っているため、核兵器を使用するインセンティブが高い、などが挙げられる。これらに関して、北朝鮮は2017年に戦略軍司令官が「グアム包囲射撃方案」を検討中であることを発表したり、今年4月には金与正が「戦争状況になれば…戦争初期に主導権を掌握し、他方の戦争意志をくじき、長期戦を防ぎ、自身の軍事力を保存するために核戦闘武力が動員されることになる」と述べたことは興味深い。冷戦期にもソ連が日本の対米協力を阻止するために海上で戦術核を爆発させるというシナリオが議論されたこともあったが、そのようなシナリオが再び現実のものとなりつつある。

逆に東アジアにおける核の有用性を制約する要素としては、①現時点では北朝鮮や中国に比べて米国の核戦力は圧倒的に優位にある、②中国が台湾を占領するためには水上艦艇を用いた上陸作戦を実施する必要があり、戦術核の格好の目標になる、③東アジアにおいては、韓国には在韓米軍が、日本には在日米軍が駐留しているため、核使用やその脅迫によって米国の軍事介入を阻止するという作業は、ロシアがNATOのウクライナ戦争介入を阻止するのより難易度が高い、などが挙げられる。いずれにせよ、これらの要素も含め、今後、東アジアの安全保障において核兵器がどのような役割を果たすのかを検討していく必要がある。

ハイブリッド戦の限界

ウクライナ戦争はロシアや中国が得意とすると考えられたハイブリッド戦が、必ずしも彼らの方に味方するとは限らないことを明らかにした。勿論、現時点ではウクライナ側の成功とロシア側の失敗の本当の原因がどこにあったかは判然としない。しかし、例えばサイバー戦についていえば、2017年にロシア連邦軍参謀本部情報総局（GRU）が「ノットペチャ」と呼ばれるウイルスによる攻撃を行いウクライナに重大な被害を与えたのに対して、NATO諸国の支援を受けつつウクライナがサイバーセキュリティ対策を強化したことが成果を上げたことは明らかである。このことは、①サイバーセキュリティ対策を着実に実施すれば5年という比較的短期間でかなりの効果を上げることができる、②平時から活発にサイバー攻撃を行うことよって、ロシアや中国は敵対国の警戒心を呼び起こし、戦時に否定的な結果を招来させた、などを示唆している。

２朝鮮半島

（１）バッドニュース

ロシアの対北支援強化

次に、より直接的・短期的な影響として、北朝鮮に対するロシアの支援強化が考えられる。北朝鮮は3月、国連で採択されたロシアのウクライナ侵攻非難決議に反対した（反対は、ロシア、ベラルーシ、シリア、北朝鮮、エリトリア）。北朝鮮がロシアを支持する背景には、当然その見返りを期待して、あるいはその約束を受けたことがあると考えられる。これについては、ショイグ国防相が3月に中国と北朝鮮を訪問して弾薬やミサイルなどの提供を要請し、北朝鮮はこれ応じたとの報道もある。

また、戦後、軍事的にも経済的にも弱体化したロシアは、軍事バランスの不利や外交的孤立を補うためにも、北朝鮮との連携強化に動かざるを得なくなるであろう。北朝鮮としてもロシアから軍事、経済、外交上の支援を得られることになれば大きいメリットとなる。特に、ロシア産の石炭、石油の禁輸はこれら資源の大きい余剰を生み出すであろうから、こうした余剰資源を入手することができれば北朝鮮にとって大きいメリットとなる。

勿論、ロシアの不況により、同国に派遣されている北朝鮮労働者からの外貨獲得にはマイナスとなるであろう。海外の北朝鮮労働者は約10万人で年に約5億ドル程度の収入があるといわれている。このうち3万人程度がロシアに滞在しているとみられるので、単純計算すれば収入は1.5億ドルとなる。しかも、こうした収入はゼロになるわけではないので、全体としては北朝鮮にはプラスとなるであろう。

さらに、外交上も北朝鮮による大陸間弾道ミサイル（ICBM）発射を受けて国連安全保障理事会が対北朝鮮制裁強化の決議案を採決した際も、ロシアと中国が拒否権を行使して否決された。北朝鮮への制裁決議案が拒否権によって否決されたのは初めてのことであったが、今後もこうした形でロシアと北朝鮮の協力関係が続くものと考えられる。このため、北朝鮮は当面の間、国連による制裁強化の可能性を心配することなく、核やミサイルの実験を実施することができることになる。

北朝鮮による軍事挑発の敷居低下

近年、核・ミサイル能力の向上によって、北朝鮮が限定戦争を現実的なオプションとして検討する可能性が高まるという「安定と不安定のパラドクス」の発生が懸念されていた。これは、北朝鮮と米韓の双方が一定レベルの核やミサイル能力を保持するようになると、相互抑止によって朝鮮半島で本格的な戦争が発生する可能性は低くなる反面、「本格的な紛争にエスカレートする可能性は小さい」という前提で、北朝鮮が韓国に限定的な攻撃を行うことが容易になってしまうという現象を指す。

これによって、北朝鮮による限定的な武力攻撃やその結果としての南北間の交戦の発生が懸念されるようになっているのだが、ウクライナ戦争の発生によって、さらに限定的な武力行使の敷居が低下するのではないかという懸念が高まった。例えば、北朝鮮がソウルの近くに火砲を撃ち込み、これに対して韓国が同様に火砲を北朝鮮に撃ち返して報復するなどのリスクが高まった。勿論、「安定と不安定のパラドクス」が機能すれば交戦はエスカレートしないということにはなるが、そのリスクが全くないわけではなく、今後の注意が必要となる。

（２）グッドニュース

米軍駐留と攻撃能力の重要性確認―ウクライナと韓国の違い

ロシアによるウクライナ侵攻に、北朝鮮からの軍事脅威に直面する韓国では安全保障上の懸念が高まった。ウクライナとロシアの関係と同様に、北朝鮮と韓国も陸続きであり、また北朝鮮は多数の火砲、ロケット砲、ミサイルを保有しているという点でロシアと類似している。国連によると2022年5月25日現在、ウクライナ民間人の死者は最低でも3,974人となっており、実際にはこれよりかなり多い死者が出ているとみられている。北朝鮮が保有する多数の火砲やロケット砲の脅威にさらされる韓国にとってはバッドニュースである。

しかし、韓国がウクライナと異なるのは、韓国が強力な反撃能力を保有している点である。具体的には、韓国は北朝鮮の火砲やロケット砲を破壊することのできる対火力火砲（counter-fire batteries）と弾道計算用レーダーに加え、戦闘爆撃機としてF-4を30機、F-16を162機、F-15を59機、F-35を36機、FA-50を60機、ミサイルでは弾道ミサイルの玄武（ヒョンム）-2（射程300 km+）、巡航ミサイルの玄武-3（射程500～1,500 km）などを合計1,000発以上保有している。また、韓国は2022年までに弾道・巡航ミサイルを計2000発配備する予定で、それが実現すれば24時間で北朝鮮のミサイルと長距離砲戦力の70%を除去することが可能になるとの報道もある。さらに、将来的には北朝鮮の長射程砲を迎撃する「韓国型アイアンドーム」を2029年に開発完了させ、2035年ごろに戦力化を完了予定とされている。このため、北朝鮮が攻撃した場合、韓国は強力な反撃作戦を行うことができるため、ウクライナに比べたとき、韓国は遙かに信頼性の高い抑止力と対処力をもっているといえる。

３台湾海峡

（１）バッドニュース

「新・悪の枢軸」の登場

ウクライナ戦争によって、中露朝の連帯が強化され、「悪の枢軸 2.0」ともいえる構図ができつつあることは台湾の安全保障にとって負担となる。現在、北朝鮮において核・ミサイル開発は進んでいるものの、制裁、コロナ感染、自然災害などで全般的な国力には陰りが見える状況である。また、ロシアもウクライナ戦争によって国力が大きく低下することが予想される。このため、今後一層、北朝鮮やロシアに対する中国の影響力が高まることが予想され、中国が北朝鮮やロシアを自国の軍事・外交政策の手段として用いる余地が拡大するものと考えられる。

北朝鮮やロシアに対する中国の影響力が高まると、例えば台湾海峡で紛争が発生した場合に、北朝鮮が朝鮮半島で危機を醸成し、ロシアが北西太平洋で緊張を高めることによって、日米両国が三正面での同時対応を迫られるような状況が発生するかも知れない。NATOは基本的にロシアという単一の脅威に対応する同盟であるのに対し、日米同盟はロシア、北朝鮮、中国という三カ国に睨みをきかせなければならない難しい立場にある。勿論、北朝鮮や中国の脅威に比べて、極東におけるロシアの脅威は限定的ではある。とはいえ、中露朝が「悪の枢軸 2.0」を形成し、台湾海峡の有事において水平エスカレーションのリスクが高まるとすれば、それは台湾海峡の平和と安定にとっては否定的な結果をもたらすことになる。

（２）グッドニュース

日米の台湾防衛へのコミットメント強化

日米首脳会談で日米両首脳は台湾海峡の平和と安定の重要性を再確認し、それが「国際社会の安全と繁栄のために不可欠な要素（an indispensable element in security and prosperity in the international community）」であると述べた。さらに、共同記者会見でバイデンは、「台湾防衛のため軍事的に関与する意思はあるか」との質問に対し、「ある」「われわれは、そのようなコミットメントを行っている」と述べた。これまで、日本は米国に台湾防衛についての立場を明確化するように求めてきたが、今回、バイデンはこれについて強い意志を示したことになる。

勿論、バイデンの発言には賛否があり、むしろ中国の立場を硬化させるとの懸念もある。また、日米両国にとっては、中台紛争に巻き込まれるリスクが高まったことをも意味する。そして、日米のコミットメントが強化されたことを受けて台湾が防衛努力を疎かにしたり、「台湾独立」の言説が拡散するなどのリスクもある。しかし、このような逆説的な結果が生まれない限り、日米両国、特に米国の台湾防衛へのコミットメントが強化されたことはプラスである。

ただ、ウクライナ戦争発生後に、むしろ台湾では米国の台湾海峡紛争への軍事介入の可能性を低く見積もる考えが増加したことには注意する必要がある。例えば、台湾民意基金会の世論調査によると、「中国が台湾を攻撃した場合、米国は派兵して台湾を防衛するか」との質問に、2021年9月には「はい」が65.0%、「いいえ」が28.5％であったのに対し、2022年4月には「はい」が36.3%、「いいえ」が53.8％と逆転している ¹。これはウクライナ戦争によって、台湾人が米国の軍事的コミットメントに疑念を抱くようになってことを示している。しかし、こうした認識は台湾の防衛力を促す方向に作用するものであり、台湾海峡の平和と安定にはむしろ肯定的な要素であるといえる。

台湾防衛戦略の強化

また、ウクライナ戦争の帰趨と米国のコミットメントの明確化は台湾の防衛戦略にも影響を与える可能性がある。現在、台湾の防衛戦略をめぐって、中国の脅威に非対称的な対応をとることによって抑止および対処能力を強化しよういう「整体防衛構想」と、より伝統的な対称戦略の間で綱引きが続いている。「整体防衛構想」は中国の軍拡によって台湾海峡の軍事バランスが悪化し続けていくことを前提に、地理的有利や民生インフラの活用とともに非対称戦能力を重視することによって、中国による本格的な台湾侵攻を失敗させることに主眼を置くものである。軍事的には台湾近海におけるミサイル艇などによる海洋拒否、機雷や火砲、ミサイルなどを用いた沿岸における中国戦力の破壊などを重視している。2022年度の予算では対艦巡航ミサイル、地対空ミサイル、500トンの沱江級コルベット、地上配備型ハープーン対艦ミサイルなどが重視されている ²。「整体防衛構想」は米国防省では「台湾の要塞化（Fortress Taiwan）」とも呼ばれ、これを実現するために議会は台湾に対する多額の支援を表明した。また、バイデン政権はすでにM109A6 155mm自走榴弾砲を含む台湾への武器売却を明らかにしている。また、台湾もM136地雷散布システムの購入を追求している ³。

他方、最近は軍を中心として、より伝統的な防衛力整備と防衛戦略を主張する勢力が主導権を握っている。伝統的な防衛力と防衛戦略を支持する意見の背景には、①非対称戦能力中心の防衛力整備は米国への依存を深め、台湾の自律性を低下させる、②中国本土への攻撃能力が欠落する、③グレーゾーン対処に限界がある、などの考えがある。事実、台湾は長距離地対地ミサイルをはじめとする対称戦力の強化も進めている。

現時点ではウクライナ戦争の「戦訓」は明確ではない。緒戦におけるウクライナの対応の成功は「整体防衛構想」のような非対称戦略の有効性を示しているようにみえる。台湾海峡有事においても、台湾が短時間で降伏してしまうことなく、米国や日本が体制を整えるまで防衛戦闘を継続することができれば、ウクライナ戦争のような展開にもっていくことを期待できるだろう。この点については、マーク・ミリー統合参謀本部議長が「台湾防衛に最も資するのは台湾自身による努力である。勿論、米国も支援する。これは、まさに現在ウクライナでやっていることであり、中国はウクライナの教訓を非常に重く受け止めていると思う。」「…最強の抑止は拒否力による抑止であり、攻撃しても台湾を占領するのは極めて難しいことを中国に悟らせることだ」と述べている ⁴。ただ、東部における戦いをみると、攻撃力に欠けるウクライナ側は防御中心の戦い方を余儀なくされており、多大な民間人の犠牲を甘受せざるを得ない状況におかれている。また、ロシアと異なり、中国がひたすら平時における圧力を継続させ、台湾国民を精神的に疲弊させるという長期戦略をとった場合、拒否能力を重視するアプローチの有効性には疑問符が付くことも考えられる。

（政策研究大学院大学副学長）

提言・論考

カレントトピックス

秋山通信